黒しばわんこの気まま人生

戦跡・スキューバダイビング・スノボー・サバゲーなどアウトドア好きアラサー男による旅行記ブログです。

アブチラガマとひめゆり学徒隊

time 2017/10/27

アブチラガマとひめゆり学徒隊

戦禍に飲まれる少女達

昨日はよくわからないところで終わりにしてしまいました。

単純に眠かったからです(笑

↓↓↓前半記事もどうぞ↓↓↓

貴方は何を思う?南城市の「アブチラガマ」

 

アブチラガマのお話ですが、懐中電灯を消すともちろん光などなく、水の滴る音が響きます。戦中、ひめゆり学徒がアブチラガマに赴任した時には電気が通っていたようですが、戦況が悪化してくると電灯などは回収されてしまい、蝋燭や空気口から入る光を頼りに作業にあたっていたとのことです。

そんな環境の中でも赴任当初はひめゆりの生徒たちは喜んだそうです。ひめゆり学徒の方々は、アブチラガマの前に陸軍病院南風原壕(南風原壕)という南城市の西部にある南風原町にある壕で勤務していたそうです。その壕は通路も狭く、その上にベッドや負傷兵が待機しており、洞窟内の臭いも顔を顰めるほどです。(南風原壕の見学に行くと臭いのサンプルを嗅ぐことができます。) 戦況が悪化して南風原壕は放棄され、勤務していたひめゆり隊の中からアブチラガマに移動そうです。

南風原壕とアブチラガマ

南風原壕に比べるとアブチラガマは天国に思えたそうです。アブチラガマはまず広い。そして地下陣地として使用されていたため最初の頃は電灯があり、壕内にはかまどと井戸がある。危険を冒して外に水を汲みに行ったりする必要がないのです。それならばアブチラガマの方がいいかもしれませんね。しかし、南部に戦場が移ってくるとアブチラガマの雰囲気も変わります。壕内には600人程の負傷兵がおり、軍医3人と看護婦、ひめゆり隊の計20人程で対応をしたそうです。先にも書きましたが、電灯は持っていかれてしまうので視界は最悪、ただの洞窟をほぼ裸足のような状態での作業。元作戦司令部の場所は脳傷と破傷風患者を留めておく場所に代わり、そこからはうめき声が聞こえてきたそうです。また、壕中程にある手術室(ちょっと高くなった場所。空気口があり自然光が入ったため手術室として使ったそうです。)からは、麻酔無しで手足を切断する等が日常だったため患者の絶叫が壕内に響いたとのことです。

最後に...

こんな環境で当時10代の女性達が頑張っていたのです。男の私でも無理ですね...当時の価値観からするとそんな姿が普通なのかもしれませんが、家族にまた会うために働きぬいた彼女たちを思うといたたまれなくなります。沖縄戦は約90日続き、日本兵は6万6千人、沖縄出身の兵2万8千人、米兵1万2千人、一般住人9万4千人が犠牲となったそうです。アブチラガマに入ると沖縄戦の一部分を知ることができますし、市が認定しているガイドさんなので本気で詳しく教えてくれます。美ら海水族館などの明るい部分だけでなく、こうした場所も訪れるのもいいかと思います。

↓↓↓こちらの記事もぜひどうぞ↓↓↓

旧海軍司令部壕~大田實中将の見た沖縄戦~

沖縄陸軍病院 南風原壕群20号




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ポチ太郎

ポチ太郎

アラサー独り身旅好き男。 仕事のストレスは趣味のダイビング・スノボー・サバゲー・一人旅で発散しています! 将来の夢は沖縄移住! [詳細]

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