黒しばわんこのおさんぽガイド

第24師団第1野戦病院本部壕

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ポチ太郎
沖縄南部の八重瀬岳には第24師団第1野戦病院本部壕というのがあったべよ

ハチ公
白梅学徒隊がいた壕ですね!

第二四師団第一野戦病院壕は八重瀬岳中腹にある壕で、「上の壕」と「下の壕」があります。
壕付近は駐車場や公衆トイレといった設備があり、この壕から階段をさらに登っていくと八重瀬グスクへと繋がっています。

沖縄戦が激しくなってくると車で傷病兵が壕の下まで運ばれてきました。タンカを使い学徒隊が兵を運ぶのですが、険しい道である上に砲弾が飛び交う中での作業は想像できない過酷さであったと思います。また、治療の甲斐なく亡くなった兵も多く、最初の頃は穴を掘り棺桶に入れて埋葬していましたが、だんだんとそんな余裕もなくなってくると埋めた棺桶の上に重ねて埋めたり、棺桶にいれる余裕もなくそのまま埋めたり、砲弾の着弾によりできた穴に埋めたということもありました。

白梅学徒隊(県立第二高等女学校)第24師団第1野戦病院入隊(山3486)

■昭和20年3月6日 県立第二高等女学校在学四年生55名は軍命により軍属となり、第24師団第1野戦病院(山3486)入隊
衛生看護教育隊として東風平国民学校で教育を受けた。集中教育で毎日テストが繰り返された。また注射の実施指導も行われた。教育隊の第1班から第3班までは、穂徳高等女学校在学生55名が配置され、第4班から第5班までは第二高等女学校の在学生55名が配置された。第6班は初年兵で構成されていた。
■昭和20年3月24日衛生教育終了。同日夕方白梅隊員は字富盛八重瀬岳にある第一野戦病院へ移動配置された。
■昭和20年3月25日~27日の間に健康上又は家庭の事情で白梅隊員9名帰宅命令。
■昭和20年4月下旬第一野戦病院新城分院開設され、命により白梅隊員5名配置につく。(通称ヌヌマチガマ)
■昭和20年6月3日戦況が悪化し新城分院壕は閉鎖され、隊員5名は八重瀬の本隊へ復帰した。
同日…第一野戦病院本部は戦況の悪化により、富盛の八重瀬岳から糸満市国吉の壕へ後退が決定され、直ちに移動を開始した。
■富盛の上の壕…L字型の壕入り口に手術室があった。白梅隊員の主な任務は病兵の食事・用便の世話・包帯交換更に手術の手伝い・切断した手足の処理等々であった。
■富盛の下の壕…八重瀬岳中腹に掘られた縦横其々4~5本の入口壕でおよそ500名の患者収容能力があった。その壕には、軍医・衛生兵・看護婦が凡そ190名と、白梅隊員46名がいた。白梅隊の主な任務は、傷病兵の食事・用便の世話・包帯の交換・水汲み汚物の洗濯であった。

看板より引用




ポチ太郎
左右は岩壁に覆われていて、現在では草木が大量に茂っています。進むとすぐに壕口にたどり着きます。

ポチ太郎
安全上の理由から立ち入り禁止となっています。東西約70m、南北約40m程の広さだったようです。
ハチ公
戦後、落盤によって内部調査が困難だったとの事ですが、2012年末より民間団体により少しずつ調査が行われていたようです。その際に、兵士が寝かされていた2段ベッド跡や未使用薬品アンプル、薬瓶、茶碗、軍靴などが発見されました。

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ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!