名称 | 第32軍司令部壕 第5坑道 | |||
住所 | 〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町 |
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解説 | 沖縄戦において第32軍が司令部としていた防空壕。 南部撤退時に壕を爆破しているため、多くの岩が落盤している。 壕の総延長は約1000mといわれるが、第5坑道入口から最深部は150mの距離になる。 |
難度 | ||
(施錠されている) |
第32軍司令部壕の第5坑道の内部映像が公開されているんだべ

ポチ太郎

ハチ公
施錠されて入れないから貴重な映像ですね!!
沖縄戦の時、軍を指揮していた司令官や将校らがいた場所が、現在の首里城の地下にあった「第32軍司令部壕」でした。
首里城の円鑑池近くには第1坑口を見ることができますが、表通りから外れる場所なので観光客は殆どいません。
壕の総延長は1000mを超える巨大な防空壕で、入口は第1坑口から第5坑口までありましたが現在は落盤により塞がれたり、危険なため人為的に塞いであるので一般人が壕内に入るのは不可能とされています。
壕の構築は1944年12月頃から始まりました。
沖縄師範学校の生徒をはじめ、多くの学校の生徒や地域住民が動員されます。
実際に司令部壕が使用されるようになると、牛島満軍司令官や長勇参謀長をはじめ、総勢1000人余りの将兵・軍属・学徒・女性軍属が壕で暮らしていました。
通路には兵隊用の2段・3段ベッドが置かれ、高い湿気と暑さとの闘いだったようで決して良い生活環境ではなかったようですが、戦地で戦っている兵隊よりは遥かに良い環境にいたといえます。
米軍の進撃により、第32軍は司令部壕を放棄して南部撤退を決めます。
その際、日本軍の情報を渡さないために、壕入口や主要設備を爆破してから壕を出ていきました。
そんな謎に包まれた壕の内部映像を見て、簡単にまとめたんだべ

ポチ太郎

ハチ公
琉球新報ありがとう!

最後の公開は2009年らしいんだべ

ポチ太郎

ハチ公
11年ぶり!
安全上の問題とかですかね?
安全上の問題とかですかね?


ハチ公
この赤ラインだけで150mなんですね!
✅第5坑口

✅中に入る

わくわくするんだべ

ポチ太郎

ハチ公
やはり実際に入ってみたいですね!
✅内部には常に水が流れている

✅坑口すぐの左側通路

✅小規模の落盤跡が多く見られる


入口すぐの左側の通路は落盤しているんだべ

ポチ太郎

ハチ公
天井には未だに亀裂があるそうです!
こわ~!
こわ~!
小規模っていっても、命中したら一大事だべ

ポチ太郎

ハチ公
島尻泥岩に比べて、琉球石灰岩は崩落する時は大きい塊になりやすいそう!
琉球石灰岩の地層は南部に多いですね!
琉球石灰岩の地層は南部に多いですね!
✅武器が置かれていた部屋

銃身や鉄兜、無線機らしき部品や火炎放射器が見つかったようだべ

ポチ太郎

ハチ公
米軍が火炎放射器を使ってたのは知られてますが、日本軍も使ってたんですね!
説明によれば日本軍の火炎放射器は珍しいようだべ

ポチ太郎
✅銃身

✅銃身(右)・鉄兜(中央)・軍靴等


✅銃のマガジン


ハチ公
調査中に見つけたものは一つにまとめているそうです!
✅ビニールカバーがされたパイプ通路


コルゲートパイプとコンクリートで補強されています。
✅パイプを抜けると…

壁面や天井の鉄骨がより強固になっているんだべ

ポチ太郎
✅パイプを抜けると地質が変わる


ハチ公
石灰質からクチャに変わります!
クチャは泥岩のこと、つまり泥ですね!
美容に良くて、泥パックをするのに最適という話も…?
クチャは泥岩のこと、つまり泥ですね!
美容に良くて、泥パックをするのに最適という話も…?
✅剥がれ落ちる壁面


ハチ公
クチャが乾くと剥がれ落ちるそうです!
✅シャベルの残骸


シャベルで掘って、トロッコで運び出していたんだべ
枕木も未だに残っているそう
枕木も未だに残っているそう

ポチ太郎
✅ツルハシで掘った痕跡



✅日本軍爆破地点(最奥)


✅沖縄の絶滅危惧種「クロイワトカゲモドキ」

✅壕内から入口を見る

頑張って図を作ったべ

ポチ太郎

ハチ公
なんて分かりにくい図なんだ!
✅分かりにくい図

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