黒しばわんこの戦跡ガイド

「ハクソー・リッジ」と「ニードル・ロック」

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ポチ太郎
今日は’’ハクソー・リッジ’’こと前田高地だべ

 

浦添城跡付近の丘陵地帯を前田高地と呼び、浦添市内でも最も高い場所では標高約148mあります。
低地からの高低差は約90mほどにもなり、鋭く切り立ったその姿に米軍兵からは「ハクソー・リッジ」と名づけられました。「ハクソー」とはノコギリ、「リッジ」は崖を意味しています。
また、南東側にはワカリジー(為朝岩)と呼ばれる岩があり、「ニードル・ロック」と呼ばれていました。

✅前田高地

復元された浦添城の城壁。前田高地に沿って城が造られている。城の上(前田高地)を目指して米兵が攻めてこみました。

✅ニードル・ロック

✅激戦地「前田高地」

1945年4月1日、米軍が沖縄本島の読谷・嘉手納・北谷に大量の軍艦を引き連れて上陸します。
宜野湾の嘉数高地などで戦闘が繰り広げられ、牧港・城間・伊祖と攻め立てる米軍に対し、嘉数高地などの第一線から後退した日本軍の部隊が迎え撃つべく仲間・前田へ配備されました。
南側に位置する首里の司令部を守る為の最後の砦、それが前田高地でした。

前田高地では、北側と南側の斜面に陣地壕が多数掘られました。
32軍は米軍との戦闘を持久戦に持ち込む為に、いくつもの陣地壕から攻撃と防御が出来るようにするためです。

4月22日頃から米軍は前田高地への攻撃を開始します。
日本の戦力は、嘉数で戦力を削がれた第62師団・援護のための第24師団(山部隊)第44師団(球部隊)です。

米軍は前田高地頂上を奪おうと試みましたが、急斜面により戦車攻撃は得策ではないので兵士自らが梯子を登り攻めこみます。
米軍は頂上に立った所で日本軍の攻撃を受け、数分で18人が犠牲となりました。このことから「死の罠」と称されたそうです。

そこから日本軍との高地の争奪戦が繰り広げられ、米軍・日本軍両軍で多くの死傷者を出しました。
日本軍は洞窟陣地からの奇襲作戦白兵戦夜間攻撃、少年兵は急造爆雷を担いで戦車に体当たり特攻が行われました。
対して米軍はナパーム弾火炎戦車などの兵器を使用しての壕からの炙り出し・壕への閉じ込めなど主に接近戦による作戦がされました。

5月6日に前田高地は米軍に完全制圧され、日本軍は撤退することとなります。
米軍1163人、日本軍6227人にもおよぶ戦死傷者・行方不明者になったこの戦いは「ありったけの地獄を一つにまとめた」との表現もされるぐらいに凄惨な戦いとなりました。

その後、日本軍は現那覇市の首里・おもろまち付近から最終的には南部の現糸満市摩文仁付近まで後退し6月23日には司令官の自決によって組織的抵抗は終了しました。

✅北部が見渡せる前田高地

北部を見渡せる前田高地。中心付近の緑地が嘉数高地付近で、激戦が繰り広げられたが敗退し、前田高地まで後退した。

✅浦添前田駅

首里・西原方向。延長するゆいレールの建設が進んでいます。浦添前田駅が前田高地近くに開業する予定。

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ポチ太郎

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戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
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