黒しばわんこのおさんぽガイド

大道森(ハーフムーンヒル)

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✅シュガーローフと並ぶ激戦地

現在、那覇市内で国際通りと並ぶショッピングスポットとなっているおもろまちですが、沖縄戦においては激戦地となりました。現在、DFSの向かい側で白いタンクの建つ配水池になっている小高い丘がシュガーローフです。

シュガーローフについてはこちら

ゆいレールの線路を挟んでシュガーローフと反対側にあったのが’’ハーフムーンヒル’’です。
現在、ハーフムーンヒル(現在の真嘉比)は区画整備事業によって丘ごと削られてしまい、首里方向へ繋がる道路が造られたので以前の姿は残っていません。
区画整備事業が行われるまではハーフムーンヒルはそのままの形で放置されていたため、旧日本軍や米軍の遺品も見つかっていたそうです。
また、区画整備事業の直前には有志団体によって遺骨採集が行われました。

✅住宅地の公園内に記念碑があります。

公園内の小高い丘の中程に記念碑があります。また、記念碑には発見された遺品の数々が展示してあります。

✅展示物

軍服のボタン・ベルトのバックル・小銃用弾頭・M1カービン用弾頭・水筒・銃剣などが展示されています。

日本軍はシュガーローフ・ハーフムーンヒルとその南側にある低地のホースシューを首里の司令部を守る絶対防御ラインとしていました。
このラインさえも超えられれば、首里司令部の南側から回り込まれてしまうためです。

1945年5月12日から18日まで続いたシュガーローフ・ハーフムーンヒルの戦いでは米軍からは戦死者だけでなく精神的疲労者も多数出たといわれています。

米軍からしてみると周囲は特に遮蔽物が存在しないため、銃弾の中を突撃していくような戦闘となります。そして、首里高地におかれた砲兵隊からの砲撃やホースシューにある日本軍の迫撃砲陣地からの見えない所からの攻撃、亀甲墓を利用したどこから飛んでくるのか分からない日本軍の攻撃によって気の休まる暇のない戦闘となりました。
また、民間人のふりをして急に襲い掛かってきたり、鉄血勤皇隊の子供達が爆弾を抱えて突っ込んでくるなどのゲリラもいたことが精神的疲労者を続出させたのではないでしょうか。

日本側から見ると、見通しのいい首里司令部やハーフムーンヒルから向かってくる米軍に攻撃できること、沖縄式の墓を穴で結び大規模な壕を造り利用した攻撃、ホースシューの迫撃砲陣地は米軍からは高地を挟んでいるので視認できずに直接攻撃ができないなど、防御側の日本がかなり有利なシチュエーションでした。
しかし、長く続いた戦いで消耗してきた日本軍には米軍を追い払うことはできず、シュガーローフは占拠。司令部は南部撤退を決め、沖縄戦は住民を巻き込んだ泥沼の戦いになっていきます。

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ポチ太郎

ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!