黒しばわんこのおさんぽガイド

首里城内の「ガマ遺構(留魂壕)」

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ポチ太郎
本日のお散歩スポットは首里城内にある「ガマ遺構」だべ

ハチ公
首里城正殿の裏側辺り、無料区域内にあります!

 

ガマ遺構【Gama Remains】

崖地の下部に見える石積みの奥には、人力でつくられた洞窟状の遺構(以下、「ガマ遺構」という)があり、周辺の遺構と共に出土状況をそのまま展示しています。
このガマ遺構は18世紀初頭に作られた古絵図に描かれておりますが、琉球王国の正史には記録がありません。その形態は、浦添市にある「浦添ようどれ(琉球王国の陵墓)」とよく似ています。
また、この遺構は「ウシヌジガマ」と呼ばれ、首里王府の女官達が息抜きの場として使われたという伝承があります。ここから出土した遺物から、グスク時代(15世紀)から近代(20世紀)まで使われていたことが分かっています。
前面に見える切り立った崖地も人力で作れています。崖地の左側上部の石積付近では、厭勝銭(魔除けやまじないを目的とした金銭)1枚が出土しています。
ガマ遺構を囲むように、先の大戦中に師範学校の生徒達が掘った留魂壕がありました。
また、この一帯に2カ所の御嶽(琉球の信仰における祭祀などを行う施設)があった可能性が指摘されています。
Behind the stone masonry at the bottom of the precipice are remnants of a cabern-shaped manmade structure(hereinafter called ''Gama''),on display in the condition they were discovered.
The Gama appears in an old illustratibe map drawn in the early 18th Century,but is nowhere to be found in the official records of the Kingdom of Ryukyu.
its shape is very similar to the Urasoe Yodore(the royal mausoleum from the king-dom era)inUrasoe City.
Other artiifacts unearthed from this site indicate that the Gama was in use from the Gusuku era(15th Century)to the MOdern period(20th Century).

【ガマ遺構案内板より引用】

✅ガマ遺構遠景

ポチ太郎
ガマの上部は「東のアザナ」

✅ガマ遺構前面

首里城の有料区域である正殿を淑順門から出たら右に進みます。そのまま進むと東のアザナ下にある広場にたどり着きます。
東のアザナの崖下にあるのがガマ遺構「留魂壕」です。

この壕が造られたのは1945年初めと言われており、那覇全域を襲った10・10空襲をきっかけに沖縄師範学校の生徒・教員により掘削が開始されました。
この沖縄師範学校の生徒らは、後に鉄血勤皇師範隊という少年兵部隊を結成され、正規部隊と共に戦闘に参加しました。

留魂壕」は彼ら少年兵の生活場所とされ、3月下旬からは沖縄新報社が坑道の一部を使用して壕の中で新聞を発行していました。そのため、壕内からは新聞を作るのに使用された活字が見つかっており、活字の型を見てみると「」などといった時勢に影響された字となっています。

この壕は1945年5月頃まで使用されていましたが、第32軍の南部撤退のために放棄されました。

✅入り口(左)

✅入り口(真中)

✅入り口(右)

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ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!