黒しばわんこのおさんぽガイド

沖縄県庁最後の地「轟の壕」

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✅窪地の底にあったガマ


那覇から国道331号線をひめゆりの塔方面に進み、伊敷地区の十字路付近にあるのが「轟の壕」です。
国道から見ると全く分かりませんが、国道の隣に大穴が空いているなどまさか想像できないかと思います。

沖縄県の「琉球石灰岩」の地質は、雨水などにより石灰岩が溶けやすい特徴があります。そこに出来た空洞に天井が崩れ落ちると「ドリーネ」というすり鉢状の地形が出来上がります。
「轟の壕」があるのはこのドリーネの底で、最深部には人が一人通れるくらいの穴が空いており、約100mの広さのガマに繋がっています。

✅国道からの入り口

国道331号の交差点近くのこの階段が轟の壕へ繋がっています。

✅壕までの道

特に案内もないので本当に道があっているのか不安になります。

✅ドリーネの入口

進んでいくと下り階段が現れます。

鎖やロープがパイプに繋いであり手摺代わりになっています。

✅上からの景色

下っていくとガマの入り口が見えてきます。周りは静寂に包まれる中を下っていくのは恐怖です。

下っていくとちょっと拓けた場所に出ます。

✅上の壕

拝所があり、その後ろには小規模の壕があります。当時は上の壕と呼ばれていて、狭いスペースに50人から60人の避難民と少数の海軍兵が身を隠していたといわれています。住民の投降後、米軍により壕は爆破されたらしく当時とは形状が異なっているのかもしれません。

上の壕から更に下っていきます。階段の形もいびつになってくるので転ばないように注意。

✅最深部から上を向いて…

ドリーネ最深部から上を向いて撮影。水もかなり滴っているので滑りやすいです。上の壕では特に何も感じませんでしたが、こちらはなんだか空気が重いというか少し違和感を覚えました。

✅「下の壕」への入り口

最深部には人一人やっと通れるくらいの穴が空いています。「下の壕」の入り口ですが、ここから先は太陽光も届かず懐中電灯無しでは進めない道です。なお、黒いホースは壕内を流れる地下水を汲み上げる為の物だそうです。

✅沖縄県庁最後の地

沖縄戦以前、沖縄県庁は現在と同じ場所に存在していました。沖縄戦の影が見え始めた1944年の10.10空襲により那覇市街は焦土と化し、県庁も宜野湾へ移転しますが、米軍上陸後は陸軍第32司令部のある首里の周辺の壕へ移転して業務を行いました。

後に司令部が首里から南部へ撤退する際、当時の知事「島田叡」は南部へ避難している住人が巻き添えになることから反対しますが押しきられ、司令部は摩文仁に撤退します。

1945年6月初旬、島田知事は数名の県庁職員と共に「轟の壕」へたどり着きます。
そして、この地で県庁の解散を宣言します。

この壕が「沖縄県庁最後の地」と呼ばれるのは、名の通り県庁がここで終わったからなんですね。
その後、島田知事は摩文仁方面に向かったと言われていますが、遺体や遺骨は見つかっていないといいます。

✅軍人と民間人

沖縄戦が始まってから現糸満市の名城地区の避難壕として使用されていた轟の壕ですが、南部に戦禍が迫ってくると様々な地域の人が壕に入りました。また、民間人だけでなく、日本軍人も壕へ避難してきます。
この壕は地下水が流れ込んでいることから、壕の奥地は湿度も高く劣悪な環境でした。
そこで日本軍人は民間人を湿地帯へ追いやったり、暴行・食料の強奪があったといいます。
また、米軍による馬乗り攻撃の際には見張りも置いて投降させることも許しませんでした。

6月25日、捕虜になった人の説得により約600人の住人が壕を出て米軍の捕虜となりました。
しかし、投降も許されず飢餓で亡くなった避難民も大勢いたのです。

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ポチ太郎

ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
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