黒しばわんこのおさんぽガイド

嘉数高台公園にある「弾痕の塀」

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ポチ太郎
宜野湾市の公園に弾痕の塀が展示されてんべ

ハチ公
嘉数高地は沖縄戦でも有数の激戦地ですからね!

弾痕の塀

戦前の嘉数は、家屋敷や道路が碁盤状に整備され、田畑に囲まれたのどかな集落でしたが、日本軍が駐屯し陣地構築を始めると、軍靴の音が響くようになりました。米軍上陸後の嘉数は、日米両軍の主力が激しい攻防戦を繰り広げた場所となり、住民はもとより、住みなれた家屋敷なども大きな被害を受けました。
戦場となった嘉数では、日米両軍の銃弾・砲弾が雨あられのごとく降り注ぎました。
この弾痕の塀は、それを物語るものです。

宜野湾市
The well of bullet holes

During pre-war Kakazu,mane houses and the roads were in a grid system.this was a quiet village,surrounded by fields,but the sounds of the japanese force's boots,who were stationed nearby were now echoing in the village.An intense battle unfolded in Kakazu where the U.S.forces had landed.the inhabitants and many houses that had survived for so long,sustained great damage from the battles.
Kakazu became a battlefield,the bullets and the bombs poured like showers from the japanese and U.S.Force.the wall of bullet holes tells us how fierce the battle was.

Ginowan city




1945年4月、沖縄県の中部から上陸した米軍は南下していきました。沖縄戦において激戦となった場所はいくつもありますが、その中の一つに嘉数高地があります。
当時は第七〇高地と呼ばれており、第六二師団独立混成旅団等を中心に防衛を行いました。16日にも及ぶ防衛戦となりましたが日本軍は後退する結果となりましたが、その戦いの激しさから米軍側からは「いまわしい丘」などと恐れられました。

「弾痕の残る塀」は公園の中心付近にあり、この塀以外にも日本軍のトーチカ陣地壕が公園内には残っています。

嘉数高台公園の情報

駐車場:有(夜間は閉鎖)
トイレ:有

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ポチ太郎

ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!