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糸満市真栄里に建立する「バックナー中将戦死之跡」

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バックナー中将戦死之跡

名称 バックナー中将戦死之跡
住所 沖縄県糸満市真栄里
解説 沖縄戦中の1945年6月18日に第10軍司令官のサイモン・B・バックナー陸軍中将が戦死した場所。 難度
A

今回は沖縄県糸満市真栄里に建立する「バックナー中将戦死之跡」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

この場所で米軍司令官が亡くなったんですね…

沖縄県糸満市真栄里の丘の上に「バックナー中将戦死之跡」という碑が建てられています。
この場所は、1945年6月18日の沖縄戦時にアメリカ第10軍司令官であったサイモン・ボリバー・バックナー・ジュニア中将が戦死された場所です。
バックナー中将は戦線視察のためこの場所に立ったところ、近くの岩が日本軍の砲弾によって砕け、その岩の破片が胸部に命中したとされています。(その他説あり)

バックナー中将戦死之跡と米軍将兵の慰霊碑

所在地:糸満市真栄里
建立年月日:昭和50年6月
管理団体:(公財)沖縄県平和祈念財団

米第10軍司令官サイモン・B・バックナー中将は昭和20年6月18日、戦闘指揮中にこの地で死亡した。
昭和27年、米軍の手で記念碑が建立されたが、キャンプ・フォスターに移設されたため、昭和50年6月に沖縄県戦没者慰霊奉賛会(現在の沖縄県平和祈念財団)によって現在の碑が設けられた。

「県営 平和祈念公園」より引用

クローディアス・M・イースリー准将の慰霊碑

エドウィン・T・メイ陸軍大佐の慰霊碑

バックナー中将戦死之跡

「バックナー中将が戦死した場所」

米第十軍司令官サイモン・B・バックナー中将は1945年6月18日午後1時15分、戦闘指揮中にこの地で戦死した。これは2013年現在に至るまで、アメリカ軍史上において最高位の階級で戦死した事例である。1952年に米軍の手により記念碑が建立されたが、1974年にキャンプフォスターに移設されたため、1975年6月に沖縄県慰霊奉賛会により現在の碑が建立された。

http://www.city.itoman.lg.jp/kankou-naviより引用

戦死した場所

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ポチ太郎

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