チブトゥン壕 & 鎮魂之塔
今回は沖縄県糸満市米須にある「鎮魂之塔」と「チブトゥン壕」だべ
慰霊塔と自然壕が隣接しています!!
沖縄本島南部の糸満市に「米須」という地域があります。
沖縄戦時には日本側の軍人・民間人がこの周辺に追い込まれました。
そういった経緯もあり、現在の米須周辺にはひめゆりの塔や梯梧の塔、魂魄之塔など多数の慰霊塔が建立されています。
今回の「鎮魂之塔」も米須集落内に建立された慰霊塔です。
しかし、ネットなどで情報を調べても「米須小学校北側にある」程度の情報しかありません。
米須小学校の北側はかつては米須グスクがあった城跡で、城郭の一部なのか細かい岩石がゴロゴロしています。
鎮魂之塔を探した時、米須グスク付近にあるのかと思い足を痛くしながら探しましたが、実際には米須小学校正門を入って右の校舎裏手付近に獣道があり、慰霊塔とチブトゥン壕へ続いています。
小学校敷地に入るわけにもいかないので、県道7号線から米須小学校塀ごしに草むらに入っていきました。
草むら自体は30秒ほど歩けば抜けられます。
その先に鎮魂之塔とチブトゥン壕(チブトゥンガマ)があります。
米須は糸満市内で沖縄戦の被害の最も大きかった地域である。米軍は6月19日ごろ米須一帯に進攻。そのころ米須内にあった避難壕は住民と日本兵が雑居していた。
広報いとまん2007年6月号 「市内の戦跡を歩こう」より抜粋
外からの米軍の「デテコイ、デテコイ」の呼び掛けに対し、日本兵が拒んだため、壕は攻撃を受け、多くの住民が犠牲になった。
戦後、遺族や関係者により、悲劇のあったその場所に、一家全滅世帯を含む戦没者を祀る慰霊塔「鎮魂之塔」「忠霊之塔」を建立。鎮魂之塔は71人、忠霊之塔は159人の犠牲者を祀っている。
ちなみに、文中にある「忠霊之塔」は米須小学校正門前に建立されています。
鎮魂之塔に比べ、県道沿いにあるのでアクセスもしやすく分かりやすい場所にあります。
戦中、忠霊之塔付近には「アガリン壕」という壕があり、住民らが避難していたそうです。
アガリン壕は現在は埋め立てられているので現存しません。
鎮魂之塔の裏手に自然壕が残っています。
チブトゥン壕やチブトゥンガマと呼ばれる自然洞窟で、戦中は住民と日本兵が内部に避難していました。
チブトゥンガマの入口はかなり傾斜があり、土や泥で滑るので下手すれば登ってこれません。
見るだけにしましょう。
日本軍の陣地壕とは違い、住民避難壕なので食器が多数落ちています。
食器だけでなく、軍人の遺品もありました。