黒しばわんこの戦跡ガイド

糸満市字伊敷にある「ウッカーガマ」

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名称 糸洲の壕(ウッカーガマ)
住所 〒901-0363
沖縄県糸満市字伊敷169
解説 糸満市字伊敷にあるガマ。近くにあるウンジャーガマに繋がっており、内部には水が流れている。豊見城城址公園にあった第24師団第2野戦病院に勤務していた小池隊と従軍していた積徳高等女学校の生徒からなる「ふじ学徒隊」が撤退してきた場所で、隊長である小池勇助自決の地であり「ふじ学徒隊」の解散の場所でもある。ふじ学徒隊は25人中23人が捕虜として生き残ることができた。 難度
A (行きやすい)



今日は沖縄県糸満市字伊敷にある「ウッカーガマ」だべ
ポチ太郎
ポチ太郎

ハチ公
ハチ公
轟の壕糸洲第二外科壕の近くにあるガマです!!


糸満市字伊敷にあるガマですが現在は内部に入ることはできず、「鎮魂之碑」が建てられています。
内部は「ウンジャーガマ」「轟の壕」と通じており、水はけが悪い上に川が流れています。

現在は閉鎖されている豊見城城址公園内にある「第24師団第2野戦病院」に勤務していた山3487部隊が撤退してきたガマです。

山3487部隊を率いていた軍医少佐「小池勇助」は同行していた「ふじ学徒隊」の解散宣言をし、捕虜になるように送り出した後に自決しています。

鎮魂之碑

この洞窟は第二十四師団山第二野戦病院の跡である。長野富山石川県出身の将兵、現地召集兵並びに従軍看護婦積徳高等女学校看護隊が傷病兵を収容した壕跡である

「鎮魂之碑」の隣に入口がありますが、現在はフェンスで入れなくなっています。

✅山3487部隊 「小池勇助」

予備役で地元の長野県佐久市で家族で暮らし、仕事は開業医をしていました。幼い頃に親戚の医者をきっかけに医療の道に進みます。日中戦争を契機に満州、そして沖縄に赴任します。最期は青酸カリによる服毒自殺で享年54歳でした。

こちらのサイトで内部の見取り図が見る事ができます。

✅姉妹サイトの紹介

次のサイトで「ウッカーガマ」入口付近までをストリートビューのように見ることができるんだべ
ポチ太郎
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ハチ公
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僕らがやっているサイトなので安心です!!

糸洲の壕・ウッカーガマ【糸満市字伊敷】

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ポチ太郎

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戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
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