黒しばわんこの戦跡ガイド

夜間戦闘機「月光」

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✅十三試双発陸上戦闘機

1930年代は支那事変の為、中国大陸で戦闘が行われていました。その流れの中で日本軍は中華民国の首都の南京を攻略し占領します。中国国民党政府を率いている蒋介石は南京の代わりとして漢口や中国大陸の内陸の都市である重慶と次々に首都機能を移していきます。戦地が内陸に移っていくにつれて、航空機での戦闘にも影響が出てきました。
航続距離が長くなることによって使える航空機が限られていくということです。基本的に爆撃機は大型の為に燃料も多く積めるため、航続距離に問題はありませんが、大型であるためにスピードも出ず、旋回能力も低いです。そのため、爆撃機を守る戦闘機が必要になってきます。1940年には航続距離・空中格闘能力文句無しのゼロ戦が出てきますが、この頃にはゼロ戦は開発中であったために爆撃機の護衛ができるような長距離飛行可の戦闘機がありませんでした。そんな中で1939年頃から重慶に絨毯爆撃が行われましたが、護衛が満足にされていない日本の九六式陸上攻撃機にも大きな被害が出ました。この被害を受けた日本海軍は航空機メーカーの中島飛行機に、航続距離を延ばして長距離の作戦も遂行できる双発戦闘機「十三試陸上戦闘機」の開発命令を出します。

✅十三試双発陸上戦闘機への高い要求

形 式:双発三座
最高速:約510km/h以上
航続力:約3,700km以上
武 装:機首固定20mm×1、7.7mm×2、後部遠隔操作式動力旋回7.7mm×4
その他:ゼロ戦と同程度の運動性能を有すること・陸上攻撃機と同等の航法・通信能力

海軍からの要求はなかなか欲張りな設定でした。’’航空機は大型になればそれだけ鈍重になり運動能力が落ちる’’ということは、大型戦闘機を開発していた当時の世界各国では当たり前のことでした。あのゼロ戦でさえも、堀越二郎率いる三菱の気の遠くなるような努力からやっと実現できた物で、より大型の航空機でゼロ戦並の旋回性能は無理がありました。
この要求に対して、中島飛行機は1941年3月に試作機を完成させます。しかし、航続距離や速度は要求値をクリアしたものの、運動性能は要求値より劣っているという結果でした。更に、この頃には出来立てのゼロ戦が次々と戦果をあげており、戦闘機としての「十三試双発陸上戦闘機」の需要はすでになくなっていたのです。



✅とことんツキのない戦闘機

生まれた意味をゼロ戦に奪われた試作戦闘機「十三試双発陸上戦闘機」ですが、その航続距離・前方機銃・空戦機動に耐える機体強度から強行偵察機「二式陸上偵察機」として採用されました。当時の海軍は九八式陸上偵察機ぐらいしか偵察機をもっていなかったのです。
さっそく偵察用カメラを搭載した試作機(J1N1-C試作機)が東南アジアの要地、ラバウル(現在のパプアニューギニア)に送られ、ガダルカナルを中心に前線司令部の目として活躍します。しかし、アメリカの戦力増強に伴い撃墜される確率が増加してきて、だんだんと偵察機としての価値も無くなっていきました。




✅小園中佐「斜銃を付けてみよう!」

「月光」の前身の二式陸偵が米軍の兵力増強によって撃墜され始め、強行偵察機としても使いにくくなってきました。自分の役割を他機に取られたり、時代の流れで活躍しにくかったりと踏んだり蹴ったりな「月光」ですが、ここで転機があります。

この頃のラバウル航空隊は、夜間に襲来してくる米軍のB-17への対応に苦慮していました。この「B-17」という機体はアメリカ陸軍がボーイング社に開発依頼して作られた重武装の大型爆撃機です。当時の世界では発動機が2つの双発高速戦闘機が人気でしたが、このB-17には4つの発動機がついていながらも、高い防弾性能による生存率の高さや空気抵抗の少ないフォルムなどで米軍パイロットからの人気も高かったと言われる機体です。

このB-17への対策として考えられたのが「斜銃」です。斜銃は「航空機の機軸に対して、上・下方向に30度前後の角度を付けて装備された20mm機銃」のことで、多くは機体上面に付けられていました。この斜銃を上方向に付けることで、敵機よりも「低高度から接近する」と、「同高度で接近していく」よりも射撃できる部分が多く見ることができます。また、敵機は反撃するには尾翼や尾部銃座が邪魔になり、敵機から考えると後方下からの接近は死角となります。この「死角」に気づいて「斜銃」を考案したのが小園安名中佐でした。小園中佐は試験的に2機の二式陸偵に斜銃を装備させたところ、初出撃で2機のB-17を撃墜するという戦果をあげます。この結果により海軍は二式陸偵へ斜銃を装備することを決定し、「夜間戦闘機’’月光’’」という名を授けられました。




✅生まれ変わった’’月光’’

月光一一型
機体略号:J1N1-S
全幅:17.000m
全長:12.13m
前高:4.56m
主翼面積:40.0m2
自重:4,562kg
発動機:栄二一型
最高速度:507.4km/h(高度5,000m)
航続距離:2,547km(正規)~3,778km(過荷)
装備:上向き20mm斜銃2挺・下向き20mm斜銃2挺(携行弾数各100発)・胴体250kg爆弾2発
乗員:2名

夜間戦闘機’’月光’’として生まれ変わり、夜間爆撃機と戦っていく内にラバウルへの夜間爆撃の回数は減少していきました。戦局が米軍優勢になってきて、効率の悪い夜間爆撃から昼間の爆撃に切り替えてきたのです。そのため、月光の役割も徐々に夜間偵察や夜間強襲の任務が増えてきました。

また、本土における月光は厚木基地に配備されており、襲来するB-29の迎撃を昼夜行っていました。高高度から襲撃してくるB-29に対しては速度・高高度飛行の性能格差から、あまり戦果をあげることができませんでした。しかし、夜間に低高度から焼夷弾攻撃するB-29に対しては、装備した斜銃によって十分な戦果をあげることができました。

✅月光一一型甲(J1N1-Sa)

Wikipedia/月光

Wikipedia/月光 より引用

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ポチ太郎

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