西暦 |
国王 |
出来事 |
日本 |
1372 |
察度
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中山王(チュウザンオウ)・察度(サット)、明の洪武帝(コウブテイ)の要請により初めての進貢をする。 |
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1392 |
久米三十六世が渡琉する |
南北朝統一(1392) |
1396 |
武寧
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察度の子、武寧(ブネイ)が中山王になる |
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1404 |
武寧王がシャム(タイの旧国名)と冊封貿易を行う |
日明貿易(勘合貿易) |
1406 |
思紹
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佐敷按司・尚巴志、武寧を滅ぼす。
父である思紹(シショウ)が即位し、「第一尚氏王朝」が始まる |
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1416 |
尚巴志、北山国を滅ぼす |
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1419 |
シャムへ交易船を派遣する |
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1427 |
尚巴志
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国相の懐機の主導で首里城の外苑と龍潭(リュウタン)を造営する |
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1428 |
中山門(国門)を造営する
パレンバン(現:インドネシアの都市)へ交易船を派遣する
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1429 |
尚巴志、南山国を滅ぼし、三山を統一する |
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1430 |
ジャワへ交易船を派遣する |
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1436 |
明から大統歴を下賜される |
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1441 |
尚忠 |
島津忠国、足利義教から琉球を賜ったとされる(嘉吉附庸) |
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1451 |
尚思達
尚金福 |
細川勝元、琉球船の商品を兵庫で押留する
懐機、海中道路「長虹堤(チョウコウテイ)」と長寿寺を造営する |
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1453 |
尚泰久
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志魯・布里の乱が起こり首里城が全焼する。
翌年、尚泰久が即位する |
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1458 |
万国津梁の鐘を鋳造する
護佐丸(ゴサマル)・阿摩和利(アマワリ)の乱が起こる |
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1463 |
尚徳
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マラッカ(現:マレーシアの都市)へ交易船を派遣する |
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1466 |
尚徳が喜界島へ遠征する
泊地頭職を設置する |
応仁の乱(1467~1477) |
1469 |
尚徳死去後にクーデターが起こり、後継ぎを殺害して王族を追放する |
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1470 |
尚円
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金丸(カナマル)が尚円(ショウエン)と改名して、第二尚氏王朝をおこす |
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1476 |
尚円が死去する
翌年、尚宣威(ショウセンイ)即位するが半年で退位
尚真(ショウシン)が即位する |
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1481 |
尚真
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室町幕府に派遣した紋船(アヤブネ)が薩摩国(現:鹿児島県)に到着する |
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1490 |
パタニ(現:タイの都市)に交易船を派遣する |
山城国一揆(1485~1493) |
1492 |
円覚寺(エンカクジ)建立 |
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1500 |
八重山でオヤケアカハチの乱が起こる |
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1501 |
玉陵(タマウドゥン)を造営する |
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1502 |
円鑑池(エンカンチ)と経堂(キョウドウ)を建立する |
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1509 |
ハチマチ(冠)と簪(カンザシ)の色による身分制度を定める |
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1519 |
園比屋武御嶽(ソノヒャンウタキ)と弁ヶ嶽(ベンガダケ)の石門を造営する |
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1522 |
尚清
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真珠道を造営し、真玉橋が架橋される |
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1531 |
「おもろさうし」第一巻が編集される |
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1546 |
首里城東南の城壁を増強 |
キリスト教伝来(1549) |
1554 |
屋良座森城(ヤラザモリグスク)を造営する |
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1570 |
尚元 |
島津氏、島津の印判を持たない商船との交易不許可を要求する |
室町幕府滅亡(1573) |
1588 |
尚永 |
島津義久、豊臣秀吉の命によって大和僧を琉球服属交渉の為に派遣する |
本能寺の変(1582) |
1589 |
尚寧
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豊臣秀吉に対し、天龍寺僧桃庵(トウアン)を琉球の使者として派遣する |
豊臣秀吉、全国統一(1590) |
1591 |
明へ日本軍勢の動向を報告する
島津義久、琉球に対して兵糧と金銀の負担を求める |
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1593 |
要求された朝鮮出兵の負担の大部分を調達する |
朝鮮出兵(1592) |
1598 |
明へ豊臣秀吉の死去を報告する |
関ケ原の戦い(1600) |
1602 |
徳川家康、伊達領に漂着した琉球人を島津家久に送還させる |
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1604 |
島津義久、家康への返礼の使者を派遣するよう琉球に求める |
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1605 |
野国総官が中国から甘藷(サツマイモ)を持ち帰る |
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1606 |
島津家久、家康から大島出兵の許可がおりる |
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1609 |
島津氏が琉球に出兵
首里城が占拠され、講和条約が結ばれる |
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1610 |
尚寧、島津家久とともに駿府城で家康に謁見する
薩摩が琉球検地を開始する |
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1611 |
「掟十五カ条」令達
尚寧、起請文に署名し帰国する
儀間真常(ギマシンジョウ)が木綿を移入する |
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1613 |
薩摩へ年頭使を派遣する
「おもろさうし」二巻が編集される |
武家諸法度(1615) |
1617 |
日本風の髪型・衣装が禁じられる |
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1621 |
尚豊
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弁財天堂を造営する |
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1623 |
儀間真常が黒糖を製造する
「おもろさうし」三巻以下が編集される |
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1624 |
八重山キリシタン事件 |
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1627 |
首里城に南殿を建造する |
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1631 |
薩摩藩の在番奉行駐在が始まる |
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1634 |
佐敷王子朝益(チョウエキ)、二条城で徳川家光に謁見する
(謝恩使・慶賀使の始まり) |
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1635 |
砂糖・鬱金の専売制を開始する |
参勤交代制度化(1635) |
1636 |
尚賢
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薩摩の命により中山王号を国司に改称する |
島原の乱(1637) |
1644 |
琉球使節が島津光久に率いられて日光に参詣(サンケイ)する |
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1647 |
尚質
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南明の勅使船が来航する |
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1649 |
清の使者が来航する |
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1650 |
羽地朝秀「中山世鑑」を著す |
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1653 |
明の鍍金銀印・詔勅を清に返還する |
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1654 |
清との朝貢貿易が始まる |
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1659 |
宮古・八重山の貢布賦課法を制定する |
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1660 |
首里城消失 |
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1664 |
北谷・恵祖事件 |
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1666 |
羽地朝秀、摂政に就任する |
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1669 |
尚貞
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薩摩が仕明(新規に開墾した農地の永代所有を認め、開墾を奨励する)を許可する |
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1671 |
首里城再建 |
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1673 |
久米村に孔子廟を建立する |
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1684 |
官生(カンショウ)制度が復活する(中国への留学生制度) |
生類憐みの令(1685) |
1689 |
系図座設置 |
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1697 |
「歴代宝案」第一集を編集する |
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1701 |
蔡鐸が「中山世譜」を著す |
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1707 |
程順則が「六諭衍義(ロクユエンギ)」を出版する |
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1709 |
尚益
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丑年の大飢饉
首里城消失 |
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1711 |
「混効験集」を編集する |
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1712 |
尚敬
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首里城再建 |
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1713 |
「琉球国由来記」を編集する |
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1718 |
久米村に明倫堂を創建する |
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1719 |
玉城朝薫(タマグスクチョウクン)が組踊を初演する |
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1725 |
蔡温(サイオン)が「中山世譜」を改訂する
士族が諸職に就くことが許可される |
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1728 |
宮古・八重山に家譜編集を許可する |
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1731 |
「琉球国旧記」を編集する |
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1732 |
「位階定(イカイサダメ)」「御教条(ゴキョウジョウ)」が発布される |
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1733 |
進貢舟の新航路が発見される |
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1734 |
「農務帳」を発布する
友寄・平敷屋事件 |
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1735 |
蔡温が「羽地大川」を改修する
「間切公事帳」を発布する |
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1736 |
蔡文溥(サイブンプ)「四本堂家礼」 |
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1737 |
乾隆検地が開始される |
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1745 |
鄭秉哲が「球陽(キュウヨウ)」を編集する |
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1756 |
尚穆
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清が再度、琉球国王印を下賜する |
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1759 |
久米島に天后宮を建立する |
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1768 |
大地震により首里城などに被害が出る |
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1771 |
明和の大津波 |
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1772 |
沖縄本島で疫病が流行する |
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1786 |
「琉球科律」「糺明法条」「褒奨条例」制定 |
天明の大飢饉(1782) |
1798 |
尚温
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中城御殿に公学校所設置。官生騒動 |
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1801 |
公学校所、龍潭のほとりに移転、「国学」と改称 |
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1804 |
尚成 |
中国福州の柔遠駅(琉球館)失火により全焼 |
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1816 |
尚灝
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英軍艦「アルセスト号」「ライラ号」が来航する |
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1825 |
飢餓による死者が多数出る |
異国船打払令(1825) |
1828 |
尚灝王が病のため、世子・尚育が摂生となる |
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1832 |
尚育
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「新集科律」制定
餓死や疫病による死者多数 |
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1837 |
国学に分廟を建立する |
大塩の乱(1837) |
1838 |
冊封の余剰金を各間切の状況に応じて分配する |
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1842 |
南京条約締結により、福州が開港場となる |
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1844 |
仏軍艦「アルクメーヌ号」来航
宣教師フォルカードを那覇に逗留 |
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1846 |
英宣教師ベッテルハイムが那覇に上陸する |
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1851 |
尚泰
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ジョン万次郎が糸満に上陸し、以降半年間豊見城に滞在する |
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1852 |
石垣島でロバート・バウン号事件 |
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1853 |
ペリーが来航し、首里城に強制訪問する |
黒船、浦賀に来航(1853) |
1854 |
露軍艦が来航する
琉米修好条約締結
宮古島で疫病が流行する |
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1855 |
琉仏修好条約締結 |
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1857 |
島津斉彬の命により市来四郎が来琉 |
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1858 |
市来四郎らと仏人との軍艦購入の交渉が成立するが、島津斉彬が死去したため破棄となる |
日米修好通商条約(1858) |
1859 |
琉蘭修好条約締結 |
桜田門外の変(1860) |
1861 |
文替わり |
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1862 |
薩摩が牧志朝忠の送還を通達する。
牧志朝忠が自殺する |
薩英戦争(1863) |
1866 |
英国商船が竹富沖にて座礁する
尚泰王の冊封 |
薩長同盟(1866) |
1868 |
明治改元の太政官令が琉球に通達される |
大政奉還(1867) |
1871 |
宮古島民が台湾に漂着するが先住民に殺害される |
戊辰戦争(1868) |
1872 |
維新慶賀詞使が上京する
琉球藩が設置され、尚泰王は華族とし、政府から東京藩邸を下賜される |
廃藩置県(1871) |
1873 |
東京藩邸に親方一人の在勤命じられる |
明治六年の政変 |
1874 |
最後の進貢船を派遣する |
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1875 |
琉球処分官・松田道之が来琉する
清との国交停止・藩王上京などの命令が伝えられる |
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1876 |
幸地朝常らが清に亡命する |
西南戦争(1877) |
1878 |
沖縄県
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松田道之、伊藤博文に「琉球処分案」を提出する |
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1879 |
尚泰王が首里城を明け渡す
沖縄県が設置される |
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