千葉県一宮市の桜通りの中にひっそりとあるのが「風船爆弾打ち上げ基地跡」です。
加納藩台場跡の看板と共に建てられています。
風船爆弾打ち上げ基地跡
風船爆弾は、旧日本軍がアメリカ本土への攻撃のために開発したもので、和紙をこんにゃく糊で張りあわせて作った直径10mの気球に、爆弾や焼夷弾を吊り下げて飛ばした兵器です。この計画は「ふ」号作戦と呼ばれ、一宮、茨城県の大津(北茨城市)、福島県の勿来(いわき市)の計3カ所の打ち上げ基地より、昭和19年(1944)の11月から翌年にかけて合計で約9000個が打ち上げられました。そのうち300個弱がアメリカ本土に到達したといわれ、オレゴン州では民間人6名が犠牲になりました。
一宮の打ち上げ基地は打ち上げのためのコンクリート台が数基据えられたといい、風船爆弾の資材の運搬のために、打ち上げ基地に向かった上総一ノ宮駅より引込線(線路、現在の一ノ宮停車線に沿う)が敷かれました。戦後、基地は旧日本軍によって破壊されたため、現在は当時の面影は残されていません。※実際の打ち上げ基地は看板の建てられている場所の道を挟んだ海側の一帯にあったといいます。
平成31年(2019)3月
一宮町教育委員会
✅和紙で作られた風船
風船爆弾は放たれてからジェット気流に乗り、訳2昼夜半をかけてアメリカ本土まで到達するものでした。
しかし、通常の風船では1日も持たずにしぼんでしまいます。そのため、飛行に耐えられる強度の風船を作る必要がありました。
また、強度以外にも気圧の問題がありました。気圧は寒暖の差でも変化があり、風船爆弾が飛行するのは高度1万メートルの-50℃の世界であるので、十分な強度と気圧変化に対応できる風船の開発がすすめられました。
素材として選ばれたのは楮(こうぞ)製の和紙を気密性と粘度の高いこんにゃく糊で張りあわせた物で、これに合わせて「こんにゃく芋」は軍需品となります。
✅ハイテク!?高度維持装置
気球には「高度維持装置」が組み込まれていました。
アメリカ本土到達まで一定の高さで飛行する必要があったため、気球の高度が下がってくると積んである砂嚢を落として重量を調節する装置です。
装置には重量が2㎏の砂嚢が32個付けられ、それに加えて5㎏の焼夷弾4個と爆弾1個も搭載されており、砂嚢を投下するのと同様に爆弾や焼夷弾も自動的に投下される仕組みです。そして、すべての爆弾を投下した後に気球が自爆するように設計されていました。
✅不明な被害者数
風船爆弾の被害者はオレゴン州における民間人6名の死亡のみが確認されているようですが、アメリカからはそれ以外の被害の発表はありませんでした。自国の動揺を敵国に知られないためかと思われます。
また、多数の風船がアメリカ本土に届いていることが分かれば、風船に細菌兵器を搭載しかねない懸念もあったようです。
日本側にも細菌兵器を搭載する案はあったようですが、国際法に違反することや報復の可能性もあるため実行されませんでした。