名称 | 三鷹事件 | |||
住所 | 日本東京都北多摩郡三鷹町(現:三鷹市) | |||
解説 | 国鉄三大ミステリー事件(下山事件・松川事件・三鷹事件)の内のひとつ。 1949年、国有鉄道時代の三鷹駅において、無人の電車が暴走して車止めを乗り越えて駅前商店街に脱線転覆した事件。 共産党員やシンパを追放するレッド・パージに反抗する共産党員の犯行が疑われた。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
「三鷹事件」は1949年に旧国鉄中央線三鷹駅で発生した脱線事故であり、「国鉄三大ミステリー事件」ともいわれています。
この「国鉄三大ミステリー事件」には他に「下山事件」と「松川事件」があり、これらの事件は共に1949年に発生しています。
三鷹事件以外の二件は犯人不明の未解決事件となりました。
三鷹事件が発生した時代は、戦後まもなくで日本全体が混乱していた時期でした。
戦争後に捕虜となって、日本に戻ってきた人々の就職先の受け皿の一つに日本国有鉄道(国鉄)でした。
多くの人々を受け入れたため、社員の数も膨大な人数になります。
その頃の海外を見てみると、中国では国共内戦(国民政府軍VS中国共産党)で中国共産党の勝利がほぼ確実となっていました。
日本国内でも日本共産党が大きく議席を増やした他、国民の中にいる共産党を支持する「共産党員」と、党員ではないものの同調する「シンパ」が数を増やしていました。
戦後まもなくから日本にはGHQが置かれて日本政府に占領政策を行わせていました。
GHQは最初は共産主義者については様子を見ていましたが、賃上げを求める労働運動やデモ・ストライキが増加してくると、国内での共産主義革命が起こるのを危惧したGHQは共産党員やシンパを公務員から追放する動きに出ます。
後に民間企業にもこの動きが起こり、「レッド・パージ」や「赤狩り」とも呼ばれました。
現在は民営化されているJRですが、当時は国が所有する鉄道であった国鉄職員も公務員です。
大量に抱える社員にもレッド・パージの風を受けますが、労働組合を中心に抵抗します。
✅三鷹事件
1949(昭和24)年7月15日午後9時23分、東京都北多摩郡三鷹町(現:三鷹市)の中央線三鷹駅で発生した脱線事故です。
現在の三鷹駅近くにある車両センターの場所に国鉄三鷹電車区がありました。
その三鷹電車区から無人の7両編成の電車が暴走、三鷹駅の1番線進入し車止めを越えて駅前商店街に突っ込みました。
被害者は電車の下敷きになるなどで死者6名、重軽傷者20数名に及びました。
捜査ではレッド・パージによる従業員の人員整理に反対していた労働組合員の犯行が疑われ、共産党員であった組合員10人とシンパであった運転士「竹内景助」が逮捕されました。
この竹内景助という運転士は「単独の犯行である」ことを主張しつづけ一人だけ死刑判決を受けますが、その後一転して無実や複数犯であるなど供述が変わりました。
その後、脳腫瘍により45歳で獄中死する結果となりました。
この事件がミステリーと言われるのは、
「竹内景助は共産党のスケープゴート(身代わり)にされた」
「円滑に人員整理を行うため、人員整理に反対する共産党員の仕業に見せかけたGHQと政府による犯行」
など様々な見方がされますが、真実が全く分からない点にあるようです。
現在の三鷹車両センター近くにある「上連雀すずかけ児童遊園」には、「三鷹事件50年碑」があります。
また、禅林寺内には「三鷹事件遭難者慰霊塔」が建立してあります。