八重岳中腹に清松隊慰霊碑があるべ
ポチ太郎
沖縄北部の国頭地域を守備を担当していたのが国頭支隊です。
国頭支隊の中心をになっていたのは、宇土 武彦大佐を隊長とする独立混成第44旅団第2歩兵隊です。
国頭支隊は伊豆見国民学校に司令部を置いていましたが、米軍上陸後は八重岳に本部を移し陣地を構築します。
本部半島各地に配置された陣地の中に清末隊陣地壕もあります。
この場所にいたのが、清末 一義中尉を隊長とする第2歩兵隊砲中隊でした。
砲中隊は、41式山砲(ヨンイチシキサンポウ)という大砲を4門を備えていました。
これは山岳地帯などでは通常の加儂砲などでは機動力が全くないために作られた、分解することが可能でコンパクトな大砲です。
1930年くらいからは通常の重火器では対処できない物をカバーする為に歩兵が使うようになり、’’歩兵砲’’とも言われたり、’’聯隊砲’’と呼ばれることもあります。
これを使い米軍の侵攻を阻みましたが、山砲も破壊されてしまった後は清末隊長をはじめ、小隊長の蔦井中尉、小隊長の亀田曹長他20名ほどで切込攻撃を行い全滅しました。