名称 | 三角兵舎跡 | |||
住所 | 〒897-0306 鹿児島県南九州市知覧町西元 (Googlemap:31.350131, 130.416352) |
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解説 | 特攻隊員や援護部隊隊員が宿泊した場所。敵機から判別しにくいように半地下構造で屋根のみが出ている。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
今日は鹿児島県南九州市知覧町にある「三角兵舎跡」だべ
ポチ太郎
ハチ公
知覧特攻平和会館近くにあります!!
知覧町の森林の中に、かつて特攻隊員が暮らしていた建物「三角兵舎跡」があります。
この建物で寝起きをし、付近には炊事場や風呂場も設けられていました。
現在は兵舎は残されておらず、知覧特攻平和会館に再現された三角兵舎跡があります。
由来
三角兵舎は太平洋戦争末期の特攻隊員の宿舎であり、飛行場周辺の松林の中にさんざいしていました。
半地下式木造のバラック建てで地上には三角の屋根しか見えず、屋根の上には大きな木を横倒しにして偽装されていました。
この地はその一つの三角兵舎の跡地であります。
当時の隊員の心情をしのびみたまを慰め、とこしえのご冥福と平和を祈念するものであります。昭和57年3月建立
知覧特攻慰霊顕彰会
✅旧陸軍特攻基地「三角兵舎」跡
✅三角兵舎跡へ続く階段
✅三角兵舎跡
三角兵舎跡(サンカクヘイシャアト)
A Site Of Triangular Army House
飛行場からおよそ1㎞離れたこの林には、特攻隊員や援護部隊員が宿泊した兵舎や炊事場、風呂場などが設けられた。
兵舎は、半地下式木造の建物で屋根だけが地表に出ていたので外から見ると三角形に見えることから「三角兵舎」と呼ばれ、敵の飛行機に見つからないよう木の枝などで偽装してあった。
風通しが悪く、雨露をしのぐだけの簡易な三角兵舎で特攻隊員は出撃命令を待ち、薄暗い裸電球で遺書や寄せ書き、別れの手紙などを書いていた。
三角兵舎には、知覧高等女学校の生徒が動員され、清掃、洗濯、裁縫、食事の配膳等、飛行兵の身の回りの世話を行ったり、手作りのマスコットをお守りとして渡し、出撃の際には特攻隊員の見送りも行った。
平成25年3月、この地において発掘調査が行われ、幅約4m、長さ約30m、深さ約70㎝の三角兵舎跡が発見された。