名称 | ガラビガマ,ガラビ壕 | |||
住所 | 〒901-0503 沖縄県島尻郡八重瀬町字新城 |
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解説 | 総延長500mに及ぶ巨大なガマで、西側部分を「ヌヌマチガマ」、東側の部分が「ガラビガマ」とされています。 このガマでは「白梅学徒隊」が看護補助要員として滞在していました |
難度 | ||
C (ハブに遭遇・足場が悪い・落盤の可能性) |
八重瀬町の新城集落のジャングルの中に「ガラビガマ」があります。
かつては平和学習で修学旅行にきた中高生が訪れていたようですが、現在ではガラビガマの西に位置しており、駐車場等も整備されているヌヌマチガマが平和学習に利用されているようです。
この「ヌヌマチガマ」と「ガラビガマ」は内部で繋がっており、その総延長は約500mにもなります。
このガマは沖縄戦においては病院壕の分院として使われていました。
病院の本部は現:八重瀬公園内にある「第24師団第1野戦病院」で、この部隊には沖縄県立第二高等女学校の生徒からなる「白梅学徒隊」が従軍していました。
この野戦病院の分院として、ヌヌマチガマ・ガラビガマは「新城分院(アラグスクブンイン)」として使われました。
分院にも5人の白梅学徒隊員が配属されて、看護補助要員として働きました。
白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)
沖縄県立第二高等女学校の前身は、1905年(明治38年)那覇市に設立された女子講習会(同年私立那覇女子技芸学校となった)で、その後変遷を経て、1928年(昭和3年)に沖縄県立第二高等女学校になりました。
1945年(昭和20年)3月24日、生徒たちは東風平村(現八重瀬町)富盛の八重瀬岳に置かれていた第二四師団第一野戦病院に配置されることになりました。
生徒の仕事は、負傷兵の看護や手術の手伝い、水汲み、飯あげ、排泄物の処理、死体埋葬などでした。
その後、5名の生徒が具志頭村(現八重瀬町)新城の自然洞窟(ヌヌマチガマ)の新城分院に配置されましたが、米軍が迫ってきたため、6月3日、分院は閉鎖されました。
6月4日、病院長から野戦病院の解散命令が下され、生徒達はそれぞれ数名ずつ班をつくって南部へと向かいました。
6月9日、一部の生徒は国吉(現糸満市)に到着。18日に国吉一帯で米軍による猛攻撃が始まり、辺りは一大殺りく場と化し、21日と22日に壕が馬乗り攻撃を受け、多数の死傷者を出しました。
国吉に行かなかった生徒たちは、砲弾が炸裂する中で死の彷徨を続け、ほとんどの生徒が6月下旬に米軍に収容されました。平成28年3月 沖縄県子ども生活福祉部平和援護・男女参画課
白梅学徒隊(県立第二高等女学校)第24師団第1野戦病院入隊(山3486)
昭和20年3月6日 県立第二高等女学校在学四年生55名は軍命により軍属となり、第24師団第1野戦病院(山3486)入隊衛生看護教育隊として東風平国民学校で教育を受けた。集中教育で毎日テストが繰り返された。また注射の実施指導も行われた。教育隊の第1班から第3班までは、穂徳高等女学校在学生55名が配置され、第4班から第5班までは第二高等女学校の在学生55名が配置された。第6班は初年兵で構成されていた。 昭和20年3月24日 衛生教育終了。同日夕方白梅隊員は字富盛八重瀬岳にある第一野戦病院へ移動配置された。 昭和20年3月25日~27日 健康上又は家庭の事情で白梅隊員9名帰宅命令。 昭和20年4月下旬 第一野戦病院新城分院開設され、命により白梅隊員5名配置につく。(通称ヌヌマチガマ) 昭和20年6月3日 戦況が悪化し新城分院壕は閉鎖され、隊員5名は八重瀬の本隊へ復帰した。
同日…第一野戦病院本部は戦況の悪化により、富盛の八重瀬岳から糸満市国吉の壕へ後退が決定され、直ちに移動を開始した。富盛の上の壕…L字型の壕入り口に手術室があった。白梅隊員の主な任務は病兵の食事・用便の世話・包帯交換更に手術の手伝い・切断した手足の処理等々であった。
富盛の下の壕…八重瀬岳中腹に掘られた縦横其々4~5本の入口壕でおよそ500名の患者収容能力があった。その壕には、軍医・衛生兵・看護婦が凡そ190名と、白梅隊員46名がいた。白梅隊の主な任務は、傷病兵の食事・用便の世話・包帯の交換・水汲み汚物の洗濯であった。
看板より引用
ガラピガマへの入口はこの場所からになります。
道中には案内看板は全くなく、地図の位置に看板があるのみです。
ガラビ壕の入壕者へ注意
ガラビ壕は、去った沖縄戦の悲惨な戦争をふりかえることができる壕であり、戦争を追体験する戦争遺跡であります。
しかし、当壕は自然洞窟に特有な諸々の要因で岩盤の落下等がありうるとされています。
当ガラビ壕は私有地でもありますが、このように指摘を受け落盤のおそれがあるとされておりますので、入壕時の安全確保については自己責任において十分な配慮をされるよう注意します。平成13年3月1日
具志頭村長 諸見里 眞常
✅入口
看板の左から進んでいくと破風墓と畑があります。
破風墓の右を見ていくと、畑の横にかすかに道があります。
ここから先は草が生え放題なのでハブには注意しましょう。
✅進むとジャングルに入っていく
ここから先は足場も悪く、倒木している場所もありました。
✅足場が悪い
✅倒木も有り
人間が立ち入らないからか、道中にはデカいクモがクモの巣が張っています。
足元も注意しないといけませんが、前もちゃんと見ましょう
進んでいくと岩壁が見えてきます。
この崖の上には八重瀬戦跡公園の「対空監視廠」があります。
✅ガラビガマ
薄暗いジャングルの中にひらく壕口には少したじろいでしまいます
轟の壕のようにポンプが置いてありましたが動いていませんでした。
長年放置されて壊れたのでしょうか。
ポンプが壊れているので壕まで続く道が水没しています。
季節によってはこのように水が溜まっているようです。
✅石積みと銃眼?
本来、この場所は風葬の地だったそうです。
至る所に石積みがありますが、銃眼にも見える隙間があります