黒しばわんこの戦跡ガイド

うるま市平敷屋の製糖工場跡の煙突

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✅沖縄県中部、うるま市にあった製糖工場

南部には糸満市の宜次の製糖工場跡の煙突があり、かつての機銃掃射の痕跡を見ることができますが、沖縄県中部のうるま市勝連半島の先端付近、勝連平敷屋にも製糖工場跡があります。
案の定、この煙突にも機銃掃射痕を確認することができます。

勝連城跡を過ぎてから県道8号線を南東へ向かっていき、平敷屋の地区に着いたら米軍基地の手前で路地に入っていきます。
製糖工場は平敷屋タキノーという場所の隣に位置しております。

余談ですが平敷屋タキノーからはホワイトビーチが一望でき、中城湾を中心に沖縄市の海岸線が見ることができて中々の絶景です!

✅煙突付近の全景

✅煙突横にある貯水槽

✅かつての製糖工場

✅文化遺産

平敷屋製糖工場は1940年(昭和15)年、勝連平敷屋地域の11組の旧サーターヤー組が合併して新設された共同製糖工場です。昭和初期の沖縄では、甘蔗圧搾(かんしょあっさく)に畜力を用いる伝統的な在来製糖場と動力機を備えた共同所有の共同製糖場(改良製糖場ともいう)が共存していました。
1928年(昭和3)年以降、共同製糖場を新設する組合に対し補助金が交付されるようになり、設立が促進されました。そうした背景のもと、蒸気を原動力とし、共同製糖場の経営方式をとる平敷屋製糖工場が設立されました。

「平敷屋字誌」や聞き取り調査等によれば、敷地入り口には事務所があり、工場建物は南向きで、ボイラー室や圧搾機、搾り汁を煮詰める鍋などがあったといわれています。工場前面には3基の煙突が立ち、煙突の一つは蒸気機関(45馬力)のボイラーにつながり、燃料には石炭を使用していました。

1944(昭和19)年10月におきた十・十空襲以降、工場は操業できなくなり、その後、米軍の攻撃により破壊されましたが、煙突1基と貯水槽だけが残りました。
煙突はイギリス積みのレンガ造で底部が約2.53m×2.53m、高さ約16.3mの四角錘台の形状で、煙突表面には沖縄戦当時を物語る複数の弾痕が残っています。
>貯水槽はコンクリート造で、平面が約9m×10.5mの略長方形で深さが約3.0mあります。X線調査の結果、コンクリートの躯体には、鉄筋のほか、竹が使用されていたことが分かりました。
沖縄の基幹産業である製糖業にかかわる貴重な遺産として、2015年(平成27)年1月に国の登録記念物として登録されました。

うるま市教育委員会設置「平敷屋製糖工場跡」より引用

近づいて確認してみると、確かに弾痕が確認できます。
宜次の煙突でも言えますが、レンガを砕いてしまう威力はやはり恐ろしいです。
軽く5㎝くらいはえぐれています。

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ポチ太郎

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