✅海軍特別攻撃隊と甲標的
真珠湾攻撃では、ゼロ戦による空襲を思い浮かべる方は多いと思いますが、海の中からも攻撃が行われていました。「海軍特別攻撃隊」による活動がそれです。この’’海軍特別攻撃隊’’は特殊潜航艇(別名甲標的)という小型の潜水艦に乗り込み真珠湾に出発します。
長さ:24m
高さ:3.4m
幅:1.85m
装備:45cm魚雷発射管 2門 (前装式)/自爆装置
速度:水中19knot
乗員:2名
甲標的は航空機が爆撃訓練をするための標的として使うという名目で開発されました。本来の目的は日本へ来襲する敵艦にこっそり近づいて迎撃するために研究開発されました。1939年頃に完成し、日米開戦の約1年ほど前より大量生産されて約100隻が建造されました。
✅出撃した10人
真珠湾攻撃において5隻の’’甲標的’’が出撃しました。一隻につき2人の乗組員がいるので計10人です。’’甲標的’’は人間魚雷「回天」のように特攻する兵器ではありませんが、「水深の浅い真珠湾での潜伏の難しさ」や「狭い湾内のため、逃げ回る事などできない」、「甲標的の速度では、回収してくれる母艦に戻ることが難しい」などのことから乗組員たちは生きて帰ることはできないと考え、遺書や時世の句を残したそうです。
4隻が真珠湾内に侵入成功しましたが、戦果を挙げたかどうかわかっておりません。この作戦において一人を除いて9人が無くなったとされています。この一人というのが「酒巻和男少尉」です。
✅出撃失敗から戦後は’’社長’’となる「酒巻和男」
酒巻和男少尉は、自身が乗る特殊潜航艇(甲標的)の最期の点検を行った所、ジャイロコンパス(羅針盤)が故障しているのを発見しました。何とか出撃までに修理するように整備員に命じましたが直すことができず、酒巻少尉の出撃すら中止が検討されました。甲標的は単眼鏡はそなえていますが、羅針盤が無ければ方角もわからず魚雷を当てることなど不可能だったのです。それでも出撃を熱望し出撃が決まりました。
出撃後、モーターなどは問題なく起動しましたが、バランスを崩して海上に浮上してしまいます。その後、敵艦の爆雷攻撃を受けるなどして、最終的には浅瀬に座礁してしまうのです。このままでは甲標的は米軍に鹵獲されてしまうので装備してある自爆装置を起動し、酒巻少尉自身は近くの島まで泳ごうとしますが途中で力が尽きてしまい...気づいた時には米軍飛行場近くの浜に打ち揚げられており捕虜第一号となってしまいました。
その後、酒巻少尉はアメリカ本土において収容所で生活をしますが1946年に帰国します。トヨタ自動車工業に入社して、最終的には子会社のトヨタ・ド・ブラジルの社長となります。