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数々の戦闘機を生み出した「中島飛行機」

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✅軍人からの転向

← 戦争期の航空機の種類

中島飛行機株式会社は、1917年に元海軍士官の中島知久平により設立されて終戦まで存在した航空機・航空エンジンメーカーです。中島知久平は現在の群馬県太田市に生まれ、後に海軍兵学校機関科に入学します。ライト兄弟の人類初の動力飛行成功を知ってから、若き頃から航空機に未来を見出しフランスやアメリカにおいて航空機というものを勉強します。この頃、軍内において航空機への期待はほぼ皆無でした。そんな中でも日常から鷲の研究を行ったり、アメリカで飛行士のライセンスを取得するなど自身の信じる道を進んでいましたが、軍内における飛行機に対しての考えは変わりませんでした。「このまま軍人にとどまるよりも民間で航空機の事業を立ちあげた方が良いのでは...」という考えが生まれると同時に、飛行機の未来を拓くには効率的であると考えるようになりました。そして生まれ故郷の群馬県尾島町に「飛行機研究所」を設立します。同年末には海軍を退官し、実業家としての人生をスタートします。

✅中島飛行機株式会社

中島飛行機の歴史は中島知久平の「航空機が日本の未来を拓く」という思いから始まります。1917年、「飛行機研究所」が設立され、’’日本飛行機製作所’’・’’中島飛行機製作所’’という名前を経て、1931年に「中島飛行機株式会社」となりました。

設立後、中島飛行機は軍向けの飛行機の機体の制作に取り掛かります。まず、’’中島式一型複葉機’’を軍納入の試作品として開発します。’’複葉機’’というのは主翼が二枚または三枚など複数ある飛行機のことです。現代においては単葉機がほとんどなので、ほぼほぼ見ることはないですね。

この’’中島式一型複葉機’’は離陸後に大破してしまい軍に納入されることなく民間企業制作の試作品として終わります。その後も試作品の開発が続き、1919年に遂にホール・スコット製150馬力エンジン搭載の’’中島式四型’’で陸軍から高評価を受けて大量発注されます。この軍から民間企業への初航空機発注から’’中島飛行機’’は世界有数の航空機メーカーとして名を轟かせていきます。



✅中島飛行機の製品

代表的なエンジン
寿 : 空冷式単列星型9気筒、陸軍名称ハ1
NAL系: 空冷式複列星型14気筒、陸軍名称ハ5/ハ41/ハ109、統一名称-/ハ34/ハ34
 : 空冷式複列星型14気筒、陸軍名称ハ25/ハ115、統一名称ハ35
 : 空冷式複列星型18気筒、統一名称ハ45

 

代表的な航空機
1936年(昭和11年) - 九七式輸送機
1937年(昭和12年) - 九七式艦上攻撃機
1940年(昭和15年) - 一〇〇式重爆撃機 「呑龍」
1941年(昭和16年) - 一式戦闘機 「隼」
1942年(昭和17年) - 二式水上戦闘機・二式陸上偵察機・二式戦闘機 「鍾馗」
1943年(昭和18年) - 夜間戦闘機「月光」・四式戦闘機「疾風」・艦上攻撃機「天山」
1944年(昭和19年) - 艦上偵察機「彩雲」
1945年(昭和20年) - 特殊攻撃機「橘花」(試作)

零戦の生みの親「堀越二郎」 →


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ポチ太郎

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