名称 | 神雷特別攻撃隊員別杯の地「桜花の碑」 | |||
住所 | 〒893-0055 鹿児島県鹿屋市野里町 |
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解説 | 出撃前の特攻隊員が整列し、別れの水杯を交わした場所に「桜花の碑」が建てられている。 特攻隊員らは同地にあった野里国民学校で生活していた。 |
難度 | ||
A |
今日は鹿児島県鹿屋市野里にある「桜花の碑」だべ
ポチ太郎
ハチ公
鹿屋基地の横にあります!
日本軍の特攻兵器に「桜花」という兵器がありました。
搭乗員ごと目標物に突撃する様はまさに人間ロケットでした。
この桜花を使用した部隊が「神雷部隊」です。
この部隊の隊員らが出撃までの日々を過ごした場所が、現:鹿児島県鹿屋市野里でした。
現在、この野里には「桜花の碑」が建立されています。
「桜花」は太平洋戦争の時代、旧日本海軍により開発されました。
桜花は通常の航空機とは違い、搭乗員ごと目標物に体当たりすることだけを考えて設計された飛行機というよりも「ロケット」と呼ぶのが正しい兵器でした。
1200㎏の爆薬が搭載され、着地のことは考えられていないために車輪はついていません。
桜花を運ぶ航空機には一式陸上攻撃機が使われ、目標物上空でパイロットが桜花に乗り込むと切り離され、特攻作戦が行われました。
✅神雷特別攻撃隊別杯之地 桜花之碑
「桜花の碑」が建つこの場所では、出撃前の特攻隊員たちが整列し、最後の別れとなる水杯が交わされました。そして隊員たちは崖側の台地へと続くつづら折りの坂を登り、トラックで鹿屋基地の飛行場へと向かったといいます。
桜花の碑は、出撃した隊員たちの魂を祀るため、元特攻隊員の小城久作氏の尽力により昭和53年に建立されました。碑の題字は、戦争末期に当地で海軍報道班員として神雷部隊と寝食をともにした作家・山岡荘八氏(代表作:徳川家康)により書かれたものです。また作家・川端康成氏(代表作:伊豆の踊子)も、戦時中の同時期に海軍報道班員として野里に滞在していました。
✅山下部落跡地之碑
✅野里小学校創建之地
✅隊員らが顔を洗っていた小川
桜花の碑の隣には「朝日神社」があります。
見てみると朝日神社の灯篭が破損していました。
爆撃で破損したのでしょうか?