名称 | 関前高射砲陣地 | |||
住所 | 〒180-0014 東京都武蔵野市関前3丁目13 |
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解説 | 米軍機の空襲に備えて作られた高射砲陣地跡。半円形に高射砲が6門配置されていた。現在はグリーンパーク緑地になっている。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
戦中の日本の航空機のトップメーカー「中島飛行機」の武蔵製作所の関連遺構をまとめていくんだべ
ポチ太郎
ハチ公
まずは、航空写真からどうぞ~!
✅1944年「中島飛行機武蔵工場」航空写真
✅中島飛行機武蔵工場 配置図
1944~45年頃 | 現在 | |
① | 付属病院 | 住宅地 |
② | 西工場(旧多摩製作所) | 武蔵野中央公園・NTT |
③ | 東工場(旧武蔵野製作所) | パークタウン・NTT・こうちゃん公園 |
④ | 中島飛行機運動場 | 武蔵野陸上競技場 |
⑤ | 第一青年学校 | 武蔵野市立第四中学校 |
⑥ | 延命寺 | 延命寺 |
⑦ | 関前高射砲陣地 | グリーンパーク緑地 |
⑧ | 中島飛行機武蔵製作所正門 | 武蔵野市立高齢者総合センター |
⑨ | 引込線「橋台」 | ぎんなん橋 |
⑩ | 武蔵野野球場線 | 堀合遊歩道 |
⑪ | 武蔵製作所引込線 | グリーンパーク遊歩道 |
今日は東京都武蔵野市にある「関前高射砲陣地跡」だべ
ポチ太郎
ハチ公
今は「グリーンパーク緑地」となっていますね!
第二次世界大戦期、現在の武蔵野中央公園付近には日本有数の航空機メーカーであった「中島飛行機株式会社」の工場’’武蔵製作所’’がありました。
当時の戦争においての主力であった航空機を造るトップメーカーであったため、この付近には空襲も計9回もあった他、日本本土初の空襲では米軍側からはターゲットとされました。
それほどまでにこの場所は旧日本軍の軍事力を担っていた場所だったのです。
空襲に対抗するため、この場所には高射砲陣地が造られました。
高射砲は地上から航空機を撃墜するための大砲で、他にも現:成蹊大学や日赤武蔵野病院にも高射砲陣地が設けられていました。
現在は「グリーンパーク緑地」として整備されていますが、「関前高射砲陣地跡」として案内看板が建てられて戦争の記憶を伝えています。
関前高射砲陣地跡
日本有数の軍需工場であった中島飛行機武蔵製作所周辺には、米軍機の空襲に備えて、日本軍によって作られた高射砲や機関砲陣地がありました。
高射砲とは地上から航空機を撃墜するための大砲です。
関前のこの付近には高射砲が6門、半円形に配置されていました。
市内には、この周辺以外にも、現在の成蹊大学や日赤武蔵野病院※の敷地内に高射砲陣地が設けられていました。
昭和19(1944)年11月24日から始まった武蔵野への空襲は、終戦近くまで続きます。
当初の段階で米軍B29による爆撃は、工場を目標に高度約1万メートル上空から行われました。
日本軍は高射砲で迎え撃ちましたが、多くの砲弾はその高さまで届きませんでした。
翌年4月12日の空襲では投下された1トン爆弾は、関前高射砲陣地や周辺の住宅にも命中し、住民に被害がでました。※現:武蔵野赤十字病院
武蔵野市教育委員会