黒しばわんこのおさんぽガイド

ポチ太郎
令和元年10.31、首里城の火災により正殿などが焼失してしまったべ

ハチ公
今は那覇市民ではないので現状を見ていないのですが、仕事中にいつも見る日常が無くなると思うと悲しいです…

ポチ太郎
少し前に焼失したフランスのノートルダム大聖堂について書いたけど、まさか身近なものがこんなことになるとは思わなかったべ

ハチ公
なんだかんだで、遺構を見に行ったりと何度も足を運びましたからね…

ポチ太郎
今日は在りし日の首里城を見てみるべ

✅首里城とは

首里城は、1429年から1879年まで続いた琉球王朝の栄華を象徴した建物です。
琉球王国は、中国や日本、東南アジアの国々と交流することにより独自の文化が育っていきました。
歴代の琉球王は首里城で暮らしており、その貿易交流や政治の中心となった場所こそ「首里城」です。

太平洋戦争以前の沖縄には数多くの文化財がありましたが、度重なる空襲と陸上戦闘によってその多くは焼失してしまいました。
首里城も戦争により無惨な姿となりましたが、沖縄本土復帰20周年である1992年に「首里城公園」という国営公園として整備され、2000年12月には、首里城の石垣などの関連遺構が国内11番目の世界遺産として登録ました。

その他の首里城の情報はこちら

✅守礼門

「守礼門」に掲げてある’’守礼’’とは「礼節を守る」という意味になります。

✅龍潭から芸大方向を望む

龍潭はなかなか大きな池ですが人口の池です。 中国からの使者をもてなす舟遊びや、中国の歌を歌いながら現在の「ハーリー」にあたる爬龍船(はりゅうせん)競争などの場所に利用されました。

✅歴史を語るアカギの大木

このアカギはトウダイグサ科の常緑広葉樹で、戦前まで約1mもの太い枝を首里城の城壁までのばし、道行く人々に涼しい木陰を提供していましたが、去る沖縄戦によって焼かれてしまい、枯れた幹だけが残りました。戦後、その幹も台風で途中から折れてしまいましたが、その後アコウ(クワ科)が寄生し、昔の面影をとどめています。

案内看板より引用

✅用物座(左)と奉神門(右)

✅天水甕

奉神門の前にある地中に埋まるように設置された甕で、少なくとも4基はあったと古写真などで残っています。用途としては消防用の水を貯めていたと推測されています。

✅奉神門

正殿(有料エリア)への入り口です。「奉神」は’’神を敬う’’という意味で、別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」といわれます。 奉神門の左側が薬・茶・タバコを扱う「納殿」、右側は場内の儀式に使用した’’君誇’’という部屋がありました。 中央が国王や海外からの使いなどの偉い人のみが使える入り口でした。




✅正殿

✅万国津梁の鐘

1458年に鋳造されて正殿の前にかけられていた銅鐘です。「琉球王国は南海の中にある美しい国であり、朝鮮・中国・日本の中間で万国の架け橋として貿易で栄える国」という趣旨の文が刻まれています。首里城公園にある鐘はレプリカで、本物は沖縄県立博物館にあります。

✅南殿より北殿を望む

✅南殿

✅首里城の石垣(世界遺産)

かつては正殿の一階からガラス越しにこの石積みを見学することが出来ました。

✅御差床(うさすか)

王座が座る場所です。背後の障子の裏には王専用の階段’’おちょくい’’があります。

玉座の上部にある額は、中国皇帝から送られた御書(ぎょしょ)です。

✅正殿の模型

正殿内に飾られていた正殿の模型です。

ポチ太郎
明日は仕事だけど、焼けた首里城を見るのは辛いべな

ハチ公
首里城再建のためにできることをやっていきましょう!

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ポチ太郎

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外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!