轟の壕
沖縄県糸満市伊敷の国道331号線横に「轟の壕」があります。
沖縄方言だとトドロンガマ・トルルシガマ・トロドンガマなどの呼び方もあるようです。
この壕はドリーネの底にある自然壕です。
沖縄特有の地質「琉球石灰岩質」が雨に溶け、地下にできた空洞部分に天井が崩落することによってすり鉢状の地形が出来上がります。これを「ドリーネ」と呼びます。
沖縄戦中には地域住民と日本兵の避難壕となりましたが、証言の中では日本兵の住民の追い出しや脅迫、食料強奪、幼児虐殺があったとされています。
壕内には水が流れており、糸洲にある「糸洲の壕(ウッカーガマ)」に繋がっています。この水が避難住民の飲み水等になったようですが、水路には死体も浮いていたそうです。
1000m以上もある広大な壕には住民・兵隊の他、当時の官選知事「島田叡(シマダアキラ)」も立ち寄り、この壕内で県庁の解散が伝えられたとされ「沖縄県庁最後の地」でもあります。
県庁の解散を伝えた島田氏は壕を出て消息を絶っていますが、その後に摩文仁の壕内で知事を見たとの証言もあったそうです。
現在の轟の壕は平和学習にも利用されるために整備されています。
国道331号線の交差点付近に壕へ続く階段があり、そこから誰でも入ることができます。