名称 | 屋我地島早田壕 | |||
住所 | 〒905-1635 沖縄県名護市字済井出 (Googlemap:26.677473, 128.018004)付近 |
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解説 | 愛楽園という療養所内に残る防空壕。在園しているハンセン病患者を動員して造られた。療養所内には機銃掃射跡があるタンクもある。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
人気スポットの古宇利島に行く時に通る島が屋我地島なんだべ。その屋我地島にも防空壕があるんだべ
ポチ太郎
ハチ公
屋我地島はサトウキビ畑のイメージしかないです!!
名護市街方面から屋我地島に渡り古宇利島に行く時は大体県道110号を行くと思います。
字済井出地区で110号線が左に折れますが、そのまま直進していくと国立療養所沖縄愛楽園に突き当たります。
この療養所内に防空壕『早田壕』が存在します。
国立療養所愛楽園はハンセン病患者の療養所として昭和13年から存在しています。
ハンセン病は’’らい病’’などとも呼ばれた末梢神経障害などが起こるものです。
療養所はオープンな感じだったので壕を探してフラフラしてみたべ。だけど全然見つからない…仕方がないので済井出簡易郵便局の人に聞いたべ
ポチ太郎
ハチ公
療養所内マップに防空壕のことなんか書きませんからね…
どうやら済井出簡易郵便局と教会の間の道を更に北上して突き当たりを左に行くとあるとのこと。行ってみると確かにあったべ。丁寧に案内看板もある
ポチ太郎
ハチ公
よく観察してみると横穴自体は色んな所に掘ってありましたね。大きいのは早田壕ぐらいでしたが!!
早田壕
1944年(昭和19)早田皓園長の下、園内の戦時体制下が進められ、7月から継承の在園者を動員して横穴壕づくりが行われました。
貝殻の化石が堆積する地層を、鍬やつるはしで掘る作業は、在園者に多くの怪我を負わせました。ハンセン病による末梢神経障害で痛みを感じにくいことから、傷の発見が遅れることも多く、傷の悪化から指や足の切断も行われました。
10・10空襲時、壕は900名を超える在園者全員の収容が可能でしたが、空襲の合間をぬって少しずつ拡張されました。断続的に行われる空襲で、園は徹底的な破壊を受け、1945年(昭和20)3月後半から在園者は壕生活となりました。
4月21日、米軍の侵入により愛楽園への空襲は止み、壕生活から解放されるものも出ましたが、子供や不自由な人たちはその後何カ月も壕生活を余儀なくされました。
空襲による直撃で亡くなったのは1名でしたが、不衛生な壕生活に加え、栄養失調や赤痢などによって1944年9月から翌年末までの愛楽園の死者は289名にのぼりました。《説明看板から引用》
駐車場から療養所に向かう時、丘の上に弾痕らしき物のあるタンクを発見したべ。気になったので近くで見てみたべ
ポチ太郎
ハチ公
フェンスもなくオープンだったから不法侵入ではないはず!!
弾痕の壁など見てきましたが、それと同じような様子だったので機銃の跡ではないかと思われるべ
ポチ太郎
ハチ公
説明看板からみても、療養所も結構攻撃されたようですしね…!!