沖縄師範健児之塔・裏の壕
沖縄戦では大人だけでなく子供も戦場へ動員されました。
沖縄県各地に慰霊塔がある中で、「鉄血勤皇隊」を祀った慰霊塔が「沖縄師範健児之塔」です。
平和祈念公園内の慰霊碑群からは外れた場所にあります。
「鉄血勤皇隊」は「沖縄師範学校」の生徒らによって構成され、広く知られている「ひめゆり学徒隊」の男バージョンの部隊です。
「沖縄師範学校」というのは1880年に創られた、現在でいう小・中学校教員養成のための国立教員養成学校です。
現在でいう大学課程教育学部に相当し有名所では、茨城県にある「筑波大学」の前身は「東京高等師範学校」、女子大では東京都文京区にある「お茶の水女子大学」の前身は「東京女子師範学校」です。
沖縄県には「琉球大学」という国立大学がありますが1950年設置の大学ですし、そもそも沖縄師範学校は沖縄戦で消失しているので正統な後継ではありません。
鉄血勤皇隊として十代半ばで動員された男子学生は主に戦場へ駆り出されました。「動員」といっても正しくは「志願」ではありましたが、国内外の情勢や戦場で亡くなった兵を讃えるような世の空気を読んだら拒否することもできず、親権者の了承も必要でしたが学校側が書類の改ざんを行うなどもあったといいます。
「鉄血勤皇隊」には、本部・情報宣伝隊・斬込隊・野戦築城隊・特別編成中隊など様々な編成がありましたが、どれも戦場で行動するものばかりで、敗戦濃厚な末期には急造爆雷を担いで戦車に突撃して自決することもありました。
第32軍司令官であった牛島中将が自決すると勤皇隊も解散となりますが、「敵に捕まると殺される」や「捕虜になることは恥」と教育されてきた彼らは捨て身の切込や手榴弾による自決を選ぶ者もいました。
現在、沖縄師範健児之塔は自由に見学することができ、塔の斜め後ろには「平和の像」が建っています。
像の3人の少年は友情・師弟愛・永遠の平和を表しています。
また、平和の像の裏へ降りていくと学徒がいたガマがあり、一部、平和の像の基礎部分のコンクリートが露出していますが、ガマ内に入ることも可能です。