名称 | 中島飛行機 武蔵野工場引込線 橋台跡(ぎんなん橋) | |||
住所 | 〒180-0014, 東京都武蔵野市関前1-5 (Googlemap:35.706582, 139.551122) |
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解説 | 現:武蔵野中央公園の場所にあった中島飛行機武蔵野工場まで続く引込線の橋台跡がある。現在は橋台の上にぎんなん橋が架かっている他、橋に線路が埋め込まれている。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
✅1944年「中島飛行機武蔵工場」航空写真
✅中島飛行機武蔵工場 配置図
1944~45年頃 | 現在 | |
① | 付属病院 | 住宅地 |
② | 西工場(旧多摩製作所) | 武蔵野中央公園・NTT |
③ | 東工場(旧武蔵野製作所) | パークタウン・NTT・こうちゃん公園 |
④ | 中島飛行機運動場 | 武蔵野陸上競技場 |
⑤ | 第一青年学校 | 武蔵野市立第四中学校 |
⑥ | 延命寺 | 延命寺 |
⑦ | 関前高射砲陣地 | グリーンパーク緑地 |
⑧ | 中島飛行機武蔵製作所正門 | 武蔵野市立高齢者総合センター |
⑨ | 引込線「橋台」 | ぎんなん橋 |
⑩ | 武蔵野野球場線 | 堀合遊歩道 |
⑪ | 武蔵製作所引込線 | グリーンパーク遊歩道 |
都道12号線と、三鷹駅から延びる’’桜通り’’が交わる場所に「いちょう橋」と「ぎんなん橋」が架かっています。
「ぎんなん橋」は遊歩道の中にかかる橋で歩行者と自転車専用の橋になります。
このぎんなん橋の場所には、かつての中島飛行機株式会社の武蔵野工場に続いた引き込み線が通っていて、橋台跡の上からぎんなん橋がかけられています。
現在の武蔵境駅~三鷹間の途中から「ぎんなん橋」、「グリーンパーク遊歩道」を経由して武蔵野中央公園(中島飛行機武蔵工場)まで引込線が通っていました。
主に物資輸送に使用されておりましたが、太平洋戦争末期には武蔵製作所は米軍の爆撃の標的とされ、幾度の爆撃で引込線も破壊されました。
戦後には工場跡地に「東京スタジアム グリーンパーク野球場」が建設され、プロ野球観戦の旅客輸送のために引込線が敷き直されます。
現在の三鷹駅から堀合遊歩道~ぎんなん橋~グリーンパーク遊歩道を経由してスタジアムへ向かう「武蔵野競技場線」が国鉄に生まれますが、野球場の閉鎖と共にこの路線も廃止されました。
昭和26年(1951年)にスタジアムが開設され、昭和34年(1959年)には路線廃止となったので約8年間のみ存在した路線となりました。
✅ぎんなん橋
武蔵野の戦争の記憶を訪ねて
中島飛行機 武蔵製作所 工場引込線 橋台跡
現在の都立武蔵野中央公園から市役所あたりまでは、かつて戦前の日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機株式会社武蔵製作所という軍需工場がありました。
工場は、昭和13(1938)念から20(1945)年まで稼働し、ゼロ戦や隼などの軍用機のエンジンを生産していました。この工場への物資輸送のため、武蔵境から工場まで引込線が敷設されました。戦争末期、工場はアメリカ軍による激しい空襲を受けましたが、その際、この引込線や隣接する境浄水場も被弾しました。
戦後、昭和26(1951)年、工場跡の一角に「東京スタジアム グリーンパーク野球場」が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、引込線は敷き直され、三鷹駅からの国鉄「武蔵野野球場線」として生まれ変わりました。しかし、まもなく野球場は閉鎖され、引込線も昭和34(1959)年に廃止になりました。
その後、玉川上水から北側は「グリーンパーク遊歩道」として、また南側は「堀合(ほりあい)遊歩道」(三鷹市)として生まれ変わりましたが、この場所には、コンクリート製の土台だけが残されました。平成24年(2012)年、都道の建設に伴い、橋台の上に「ぎんなん橋」が設置されました。
この橋台跡は、工場への引込線の遺構で唯一残った戦争遺跡です。