名称 | 第二玉砕場 | |||
住所 | 〒901-3501 沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷 |
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解説 | 国立沖縄青少年交流の家内にある野球グラウンド付近にて集団自決があり、第二玉砕場とされる。 背後の赤間山には烽火台跡(ヒータティヤー)の碑が建っている。 琉球王国時代の連絡通信として「烽火(ノロシ)」が使われていた時に、この場所に烽火台があった。 |
難度 | ||
A |
今日は沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷にある「第二玉砕場」だべ
ポチ太郎
ハチ公
第一玉砕場は少し北にあるフィジガーですね!
沖縄本島の西にある慶良間諸島の一つ、渡嘉敷島では戦時中に住民による集団自決がありました。
上陸した米軍から逃れるため、現:渡嘉敷集落の北にある丘陵地帯「北山(ニシヤマ)」において集団自決が起こります。
「集団自決跡地」の碑後方にある谷間(フィジガー)を「第一玉砕場」とし、国立沖縄青少年交流の家の野球グラウンド近辺が「第二玉砕場」となります。
ハチ公
「北山」と書くけど、読み方は「ニシヤマ」です!
第二玉砕場を通った際、たまたま村民による野球大会が行われていました(笑
✅第二玉砕場
フィジガーと比べると碑などもないので、「第二玉砕場」ということなど分かりません。
この野球グラウンドの後方にある丘陵「赤間山」には「烽火台跡(ヒータティヤー)」の石碑が建っています。
✅烽火台跡 (ヒータティヤー)
「烽火台跡(ヒータティヤー)」へは東展望台へ向かう途中にある獣道を進んでいった先にあります。
舗装されておらず、ガタガタの道なので原付で向かう際には注意です。
烽火台というのは、連絡用の烽火(のろし)を送る時に使用した場所です。
遠い昔は連絡手段もなく、その結果琉球政府が考えたのが「烽火(ノロシ)」でした。
外国船などが来た際、沖縄本島周辺の離島各地に造られた烽火台で烽火を上げ琉球政府に連絡をしていました。
烽火の仕方も方法があり、船1隻では1筋の煙、船2隻では2筋の煙、船籍不明では3筋の煙などといったように、煙だけで連絡をしていました。