✅富盛の石彫大獅子(富盛のシーサー)
今日は八重瀬町にある富盛のシーサーだべ
ポチ太郎
ハチ公
シーサーの近くにある八重瀬公園には「第24師団第一野戦病院壕跡」がありますね!!
「富盛の石彫大獅子(富盛のシーサー)」があるのは、沖縄県島尻郡八重瀬町富盛の’’勢理城(ジリグスク)’’と呼ばれている場所です。
記録によれば1689年に造られたとされており、残されている記録の中では沖縄県内で最も古いシーサーのようです。
高さは142㎝もあって意外と大きいです。
造られた時代は富盛地区に火災が多く、風水師のアドバイスから八重瀬岳の方向を向いたシーサーを造り、火除けとされました。
✅愛嬌のある顔をしています♪
現在の勢理城は広場として整備されています。駐車場も完備されていて乗用車5台くらいは停められます。
八重瀬町は戦跡とか史跡の扱いが丁寧な気がしている今日この頃。
勢理城からは町全体が見渡すことができ、東屋で休みながら丘陵の風に当たることができます。
その一角に富盛の石彫大獅子があります。
近くで見てみるとなかなか愛らしい顔をされています。
なぜだかお金を食べさせられていますね。
✅弾除けにされた富盛の石彫大獅子
そんな富盛のシーサーですが、沖縄戦もしっかりと乗り越えてきています。
中部から進軍した米軍に対し、首里を放棄して南部撤退してきます。
この富盛地区は丘陵地帯ということもあり、防衛拠点にもされました。
また、近くの八重瀬岳には白梅学徒隊が従事していた病院壕もあります。
この富盛の石彫大獅子は沖縄戦の際に米軍が撮影した写真にも写っており弾除けとされていました。
現在の石彫大獅子を見てみると、像全体に弾痕と思われる穴が多く残されています。
沖縄戦の戦禍をくぐり抜けて今も八重瀬岳を見つめる富盛の石彫大獅子は、今も昔も富盛地区の守り神なんですね。