黒しばわんこの戦跡ガイド

局地戦闘機「紫電」

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✅局地戦闘機って?

軍港・前進基地等が敵爆撃機による攻撃をされそうな場合や偵察機による偵察をされることを防ぐ為に、陸上の飛行場から発進する戦闘機を局地戦闘機と呼びます。夜間の発進については夜間戦闘機(月光・彗星)が担当していました。また戦闘機というと「ゼロ戦」が知られていますが、「ゼロ戦」は’’零式艦上戦闘機’’が正式名にもあることから空母から発進する’’艦上戦闘機’’に当たります。
爆撃機・偵察機への要撃が主目的であるので格闘性能や運動性能は重視されず、上空へ素早く到達するための強力なエンジン、敵機の頑丈な機体にダメージを与えるための強力な武装が求められました。

✅紫電開発まで

’’紫電’’は川西航空機という会社が作り出した局地戦闘機です。この川西航空機は現在では「新明和工業」として残っており、輸送機器のメーカーとして現存しています。戦争当時、この川西航空機は戦闘機の開発は専門ではなく、九四式水上偵察機や九七式飛行艇、二式飛行艇などの海軍用航空機の中でも水上機と飛行艇に定評を持つ会社です。しかし、戦況が悪化していく中で偵察や侵攻の色の強い水上機の利用機会は減少してきており、川西航空機でも新開発した「強風」をはじめとして水上機の需要低下が危惧されました。商品が売れないと会社はなりたちませんから、策を考えた時に考え付いたのが水上機「強風」を戦闘機仕様に改造して海軍に売り込むということでした。

当時の海軍は、ゼロ戦の後継機として考えられていた「烈風」と局地戦闘機の「雷電」を共に三菱重工に製造依頼していましたが開発遅延が発生しており、またゼロ戦の改修も行っていたために三菱重工も猫の手も借りたいような状態でした。そんな中で舞い込んできた川西航空機の案を海軍側も受け入れざるえませんでした。当時の海軍内では、今まで水上機と飛行艇を主に作ってきた川西航空機に陸上機が作れると思えないという考えもあったようです。



✅うまくいかない開発

「紫電」の開発が始まりましたがあまり時間はありません。開発には水上機「強風」の機体を出来る限り流用する予定でした。しかし、エンジンを「火星」から中島飛行機の「誉」へ変更、尾輪を装備したことなどから、機首・機体後部共に大幅に変更が必要であり、機体部分で流用できた物は操縦席くらいでした。主翼等についてはほぼ原型のまま「強風」より引き継がれました。

出来上がった試作は、ブレーキの効きが左右で違う・引き込み脚部のトラブルによる離着陸時の事故の多発、中翼であるために下方視界不良、対米軍機への速度不足などが問題として発生しました。当初の計画では最高速度653.8km/hの予定でしたが、実測では570.4km/hという結果でした。また上昇力は6,000mまで5分36秒で、航続距離は全力30分+巡行で2.8時間となりました

速度低下の原因
100オクタン燃料(有鉛)のかわりに92オクタン燃料を使用したこと
翼下面に20mm機銃をおさめたポッドを装着したことによる抵抗力の増大

しかし問題を解決しないまま「紫電11型」として量産が命じられました。これは、主力戦闘機である零戦では他国の新鋭戦闘機に及ばなくなってきたこと、三菱製局地戦闘機「雷電」の配備が遅れていたことが主な原因でした。

✅乗りにくい戦闘機

数々の不都合がありながらも生産が開始された「紫電」ですが実戦の場でも数々の問題を起こしました。局地戦闘部隊の’’343空戦闘301隊’’(隼隊)において、ある時期は3日に1機が脚部の故障により機体が使えなくなる問題も発生したほどでした。 下方の視界不良、縮めてから折りたたむという故障しやすい構造の脚部、川西航空機のせいでないにしても積載している’’誉’’エンジンの不調などから、パイロットらからは「乗りにくい戦闘機」というレッテルを張られてしまいます。



✅紫電改(紫電21型)

故障の多い戦闘機を悠長に使っている海軍ではありませんでした。初代紫電が完成した時点で川西航空機に改良の命をし、昭和19年に新しい機体が完成しました。評価の結果、「紫電21型」別名’’紫電改’’として正式採用されました。

改善点
低翼配置により下方視界の確保
主脚の変更
自動空戦フラップを採用
防弾タンクなどの防弾装備
性能の向上
機体トラブルの減少

 

この中でも自動空戦フラップは空戦時に機体速度や機体にかかるGに応じてフラップが展開されるシステムのことです。通常、フラップは離着陸時に使用しますが、空戦時に利用することによって旋回性能を上昇させることができます。ベテランの搭乗員はフラップを利用して旋回を行っていましたが、この操作は難しいため未熟な搭乗員にはできない動作でした。そんな中でのこの自動空戦フラップは航空機に乗り慣れていない搭乗員でも自動でフラップを調整してくれるため、実力差を少なくすることができました。

この自動空戦フラップは紫電の他にも’’陣風’’や’’烈風’’、’’震電’’にも実装または実装を計画されました。

 

✅紫電改の活躍

「紫電」と「紫電改」がもっとも使われたと言っても過言ではない隊は、源田実率いる第343海軍航空隊通称剣部隊です。航空機搭乗員出身の源田実大佐の着想のもと創設された部隊で、紫電改と紫電に偵察機は彩雲を装備し、基本的に4機1小隊という単位で動くことを徹底、また当時は実用的でなかった無線電話を実用化させて使用した部隊でもあり、偵察機からの情報や各員からの情報とコミュニケーションを大事にした部隊でした。四国松山上空に現れたF6FヘルキャットやF4Uコルセアなどのアメリカ機との交戦を行うなどの成果を上げます。しかし、「紫電」の登場するのが太平洋戦争終盤であったこともあり、400機ほどしか生産されなかったため他の主だった戦果はありませんでした。

 

 

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ポチ太郎

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