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シュガーローフ(慶良間チージ)

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沖縄県那覇市のゆいレールおもろまち駅付近丘陵地帯は、現在はDFSギャラリアなど新都心として発展しつつありますが、戦中においてはこの付近は沖縄戦の中でも激戦地となった場所です。首里司令部の西方に位置するおもろまち駅付近は、日本軍の首里防衛の西の要衝であり、米軍の第6海兵師団と日本軍陣地の激しい攻防戦が展開されました。

丘陵地帯一帯は日本軍は“すりばち丘”、米軍は“シュガーローフ”と呼称していました。その中でも’’慶良間チージ’’での攻防は沖縄戦の中でも特に激しい戦いとなりました。’’慶良間チージ’’というのは戦前に地元の方が読んでいた呼称で、この場所から慶良間諸島を望むことができた場所で’’チージ’’というのは「頂上」という意味合いだそうです。現在は「安里配水池」と呼ばれる大型タンクが建っている場所です。

慶良間チージでの戦いは1945年5月12日から1週間、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされる激戦の末に、米軍が制圧した戦いです。米軍は死者2,662人・精神疲労者1,289人を出し、日本軍も学徒隊や住民を含め多数の死傷者を出しました。米軍に精神疲労者は、日本軍や学徒隊の命を捨てての特攻攻撃に精神的ダメージを受けたのではないかと考えられています。銃と共に突撃するだけでなく、時には手榴弾や爆弾を担いでM4中戦車のキャタピラ部分に突撃し爆破によりキャタピラを破壊するなど、命を捨てて突撃してくる姿を見続けて精神を病んでしまったのではないでしょうか。

慶良間チージでの戦い以降、米軍は首里司令部への攻勢を強め、最終的には第32軍司令部は南部へ撤退し、糸満市の摩文仁付近まで追いやられてしまいます。現在の平和記念公園あたりですね。そこに行きつく頃には沖縄戦の勝敗は決定的になっており、沖縄方面陸・海両軍はギリギリまで戦いましたが陸軍司令部は摩文仁、海軍は豊見城市の海軍司令部壕において自決という最期を遂げました。

一帯の丘陵地は、日本軍の首里防衛の西の要衝(ようしょう)で、米軍の第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。
特に慶良間チージでの攻防は、1945年(昭和20)5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。
米軍は死者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。
それ以降、米軍は首里への攻勢を強め、5月27日に首里の第32軍司令部は南部へ撤退した。
沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが、多くの住民をまきこんだ南部戦線の悲劇は、6月末まで続いた。

慶良間チージ 案内看板より

慶良間チージ(シュガーローフ)の情報

モノレールおもろまち駅より徒歩約6分。安里配水池 展望所内。               

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ポチ太郎

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外出大好きなアラサー男です。
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