第24師団第1野戦病院 手術場壕
名称 | 第24師団第一野戦病院 手術場壕 | |||
住所 | 〒901-0402 沖縄県島尻郡八重瀬町字富盛 |
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解説 | 八重瀬岳中腹に設置されていた第24師団第1野戦病院の手術用の壕。 八重瀬公園駐車場の目の前にあり、案内看板等が整備されている。 駐車場側の壕口とは別の壕口がある。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
沖縄県南部に「八重瀬岳」という丘陵があります。
沖縄戦時、この丘陵地帯には「第24師団第1野戦病院」という部隊が配置されていました。
構築した壕内に病院機能を有した部隊で、「本部壕」には約500名の収容能力がありました。
しかし、首里司令部陥落以前より負傷兵が増加し、東風平分院・新城分院も設置して対応に当たりました。
病院長は安井二郎軍医少佐、病院長以下軍医・衛生兵・看護婦は186人、これに加えて学徒動員により配置された補助看護婦の「白梅学徒隊」46名が負傷兵の対応を行いました。
「白梅学徒隊」は沖縄県立第二高等女学校の女子生徒でまだ10代半ばの子供です。
3週間ほどの実習教育を経て、前倒しで病院壕に配属されてきました。
白梅学徒隊(県立第二高等女学校)第24師団第1野戦病院入隊(山3486)
昭和20年3月6日 県立第二高等女学校在学四年生55名は軍命により軍属となり、第24師団第1野戦病院(山3486)入隊衛生看護教育隊として東風平国民学校で教育を受けた。集中教育で毎日テストが繰り返された。また注射の実施指導も行われた。教育隊の第1班から第3班までは、穂徳高等女学校在学生55名が配置され、第4班から第5班までは第二高等女学校の在学生55名が配置された。第6班は初年兵で構成されていた。 昭和20年3月24日 衛生教育終了。同日夕方白梅隊員は字富盛八重瀬岳にある第一野戦病院へ移動配置された。 昭和20年3月25日~27日 健康上又は家庭の事情で白梅隊員9名帰宅命令。 昭和20年4月下旬 第一野戦病院新城分院開設され、命により白梅隊員5名配置につく。(通称ヌヌマチガマ) 昭和20年6月3日 戦況が悪化し新城分院壕は閉鎖され、隊員5名は八重瀬の本隊へ復帰した。
同日…第一野戦病院本部は戦況の悪化により、富盛の八重瀬岳から糸満市国吉の壕へ後退が決定され、直ちに移動を開始した。富盛の上の壕…L字型の壕入り口に手術室があった。白梅隊員の主な任務は病兵の食事・用便の世話・包帯交換更に手術の手伝い・切断した手足の処理等々であった。
富盛の下の壕…八重瀬岳中腹に掘られた縦横其々4~5本の入口壕でおよそ500名の患者収容能力があった。その壕には、軍医・衛生兵・看護婦が凡そ190名と、白梅隊員46名がいた。白梅隊の主な任務は、傷病兵の食事・用便の世話・包帯の交換・水汲み汚物の洗濯であった。
看板より引用
白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)
沖縄県立第二高等女学校の前身は、1905年(明治38年)那覇市に設立された女子講習会(同年私立那覇女子技芸学校となった)で、その後変遷を経て、1928年(昭和3年)に沖縄県立第二高等女学校になりました。
1945年(昭和20年)3月24日、生徒たちは東風平村(現八重瀬町)富盛の八重瀬岳に置かれていた第二四師団第一野戦病院に配置されることになりました。
生徒の仕事は、負傷兵の看護や手術の手伝い、水汲み、飯あげ、排泄物の処理、死体埋葬などでした。
その後、5名の生徒が具志頭村(現八重瀬町)新城の自然洞窟(ヌヌマチガマ)の新城分院に配置されましたが、米軍が迫ってきたため、6月3日、分院は閉鎖されました。
6月4日、病院長から野戦病院の解散命令が下され、生徒達はそれぞれ数名ずつ班をつくって南部へと向かいました。
6月9日、一部の生徒は国吉(現糸満市)に到着。18日に国吉一帯で米軍による猛攻撃が始まり、辺りは一大殺りく場と化し、21日と22日に壕が馬乗り攻撃を受け、多数の死傷者を出しました。
国吉に行かなかった生徒たちは、砲弾が炸裂する中で死の彷徨を続け、ほとんどの生徒が6月下旬に米軍に収容されました。平成28年3月 沖縄県子ども生活福祉部平和援護・男女参画課
現在、八重瀬岳中腹には部隊が手術の際に使用していた「手術場壕」が残っています。
手術場壕から道を下った場所にあった「本部壕」は土砂に埋没しており、内部をうかがい知ることはできません。
✅白梅学徒看護隊之壕
駐車場前に石柱が建立されています。
✅「第24師団第1野戦病院 手術場壕」駐車場側壕口付近
この壕口のすぐ右側に小部屋があり、手術はその小部屋で行われていました。
壕前の広場には順番待ちの負傷兵が待機していましたが、薬品などの物品も不足していたので満足な治療など受けられるはずもなく、麻酔も打たずに手足をノコギリで切断するようなこともありました。
術後でも消毒などできない為、患部が膿んでしまったり、蛆が湧いたりしました。
そういった蛆をピンセットで取っていくのも、白梅学徒隊の仕事でした。
✅手術場
手術場はお世辞にも広くありませんが、天井が高くなっています。
現在はカマドウマが大量に住んでいます。
落石はありますが、それが無ければかなり綺麗に掘り込まれた壕だと思います。
この通路の両サイドにも2段ベッドを置いていたようで、天井までの高さは2m以上あります。
壕の形状を表すとすれば「L字型」です。
壕口を進むと坑道が右に折れています。
折れている場所にはちょっとしたスペースが掘り込まれています。
✅掘り込まれたスペース
✅2ヵ所目の壕口の光
✅壕口から内部を見る
壕口の横には岩が掘り込まれており、この場所で白梅学徒隊の女学生たちが休憩していたとの事です。