黒しばわんこの戦跡ガイド

凶弾に倒れたライオン「浜口首相遭難現場」

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✅浜口雄幸(1970~1931)

明治末~昭和前期の大蔵省官僚・政治家です。
現在の高知県高知市の水口家に生まれ、19歳の頃に結婚、婿養子となり浜口姓となる。
高知中学・高等中学を経て、帝国大学(現東京大学)を卒業後、大蔵省(現財務省)に入省、逓信次官や大蔵次官を経験する。
後に結成された「立憲同志会」(のちに憲政会)に入党し、代議士となります。
厳つい風貌と実直な仕事ぶりから「ライオン宰相」と大衆に親しまれた。
衆議院議員6回当選、総理大臣まで昇り詰めるが、緊縮財政によるデフレ不況・社会不安の増大、統帥権干犯問題などから右翼活動家に狙撃されて重傷、翌年死去した。

✅ロンドン海軍軍縮条約

1930年に行われた「ロンドン軍縮会議」において「ロンドン海軍軍縮条約」が締結されました。
ロンドン海軍軍縮条約でメインとなるのが、アメリカ・イギリス・日本の船舶保有量していることです。
日本の補助艦の保有率を、対アメリカ・イギリスを10とすると日本は6.975という制限がされました。
また、各国共に主力艦の保有数が15・15・9(隻)とされます。

その時代、世界各国では軍事費が国の財政を大きく圧迫していました。
そのため、維持費用のかかる艦船を削減・新しい主力艦の建造を1936年まで停止する・保有数の制限に関する交渉がされたのです。
浜口内閣では若槻礼次郎外相による交渉は難航しましたが、なんとか米英比6.975までもっていきます。
国際関係を重視しつつ、合理的に軍事費を削減したこの協調外交は支持する声も多くありましたが、一方、海軍や立憲政友会、右翼団体からは軟弱な外交と非難されました。特に軍部はアメリカを仮想敵国とし、7割が勝てるギリギリのラインとしていたので6.975という割合に反発しました。
その火種として持ち出してきたのが「統帥権」についてでした。

✅統帥権干犯問題

「統帥権」は軍部を動かす権利のことで、大日本帝国憲法でも統帥権について定めています。

大日本帝国憲法第11条

天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

憲法の中では統帥権は天皇にあるとしており、実務的には参謀総長らが軍をまとめていました。
ロンドン海軍軍縮条約では艦船の保有量が定められていましたが、
「この条約を政府が締結することは天皇の権利を侵害しているのではないか?」
という言い分が「統帥権干犯問題」でした。

議会でこのことについて責められながらも、ロンドン海軍軍縮条約は締結されます。
しかし、このことから右翼思想の青年’’佐郷屋留雄’’に銃撃されていまします。

現在、現場付近には柱に説明板、床は茶色のプレートが使われています。

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ポチ太郎

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