名称 | 特攻艇秘匿壕 | |||
住所 | 〒901-3501 沖縄県島尻郡渡嘉敷村 |
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解説 | 渡嘉志久集落内に残っている特攻艇を格納するための防空壕。 手掘りの防空壕で、壕前には掘り起こした土が残っている。 |
難度 | ||
A |
✅旧日本軍特攻艇秘匿壕
渡嘉敷島を含む慶良間諸島は、沖縄戦において米軍が最初に上陸した島々です。
日本軍は沖縄本島への上陸に備えて慶良間諸島にも隊を配備、本島に上陸した敵軍を慶良間諸島から奇襲しようとしました。
現実には慶良間諸島への侵攻が先だったので目論見通りにはいきませんでした。
渡嘉敷島には赤松嘉次大尉率いる海上挺進第3戦隊が配備されています。
渡嘉志久集落にある「とかしくビーチ」近くには構築された「特攻艇秘匿壕」が現存しています。
この壕に隠されていたのは「四式肉薄攻撃艇」です。
「マルレ」とも呼ばれます。
ベニヤ板で造られたモーターボートで、当初は爆雷を積んで敵艦に近づいて爆雷を使用した攻撃を仕掛ける構想でしたが、いつしか爆弾を積んで体当たり攻撃をする方が兵器への技術もいらずに戦果も挙げられると考えられるようになりました。
「マルレ」と似たような兵器に「震洋」があります。
陸軍が運用したのが「マルレ」、海軍が運用したのが「震洋」です。
爆弾を積む位置などが異なっています。
とかしくビーチ沿いの道路に看板が立っています。
秘匿壕まではしっかり整備されています。
といっても看板から歩いて10秒程で壕前に到着するくらいの距離です。
特攻艇秘匿壕
村指定戦争遺跡この洞窟は沖縄戦における旧日本軍「海上特攻艇」の秘匿格納壕である。
この壕は、黒色千枚岩の堅い岩石をくりぬいて構築されているが、壕の掘削には主に朝鮮人軍夫があたり、島の女子青年が協力をしたと伝えられている。
特攻艇は「マルレ」と呼ばれ、ベニヤ板製で船幅1.8米、船長5.6米、重量1200㎏の半滑走型ボートで120㎏の爆雷2個を搭載し、米軍艦艇を特攻攻撃するための秘密兵器であった。
当時、渡嘉敷島には赤松嘉次大尉率いる「海上挺進戦隊第三戦隊」(特攻艇100隻、人員540人余)が配備されていた。渡嘉敷村教育委員会
✅内部
間口は高さ:2.30m・幅:3.00m・奥行:約12mの壕です。
✅左壁面
✅右壁面
✅最奥
岩盤を採掘したのは壁面を見てもわかります。
金色に光っている部分がありました。
✅壕前にまとめられた岩石
「黒色千枚岩」という泥岩が圧力によって変成した岩です。
長期間放置されていることから岩石表面に結晶ができていました。