名称 | ウプドゥマーリャ特攻艇秘匿壕 | |||
住所 | 〒906-0008 沖縄県宮古島市平良荷川取220 |
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解説 | 宮古島市平良荷川取の荷川取公園へ向かう小道の脇に特攻艇「マルレ」の秘匿壕が残っている。 「元陸軍海上挺進第四戦隊駐屯地跡」の碑も建っている。 かつては荷川取海岸から荷川取公園付近までに秘匿壕が数多く存在していたが、土地開発などで埋没している壕もある。 |
難度 | ||
A |
✅荷川取海岸秘匿壕群・ウプトゥマーリャ特攻艇秘匿壕群
宮古島市平良荷川取の荷川取漁港北側から海岸線に沿い、荷川取漁港から荷川取公園までのライン上にはモーターボート型の特攻兵器「マルレ」の秘匿壕が点在していました。
現在は道になっていますが、かつては荷川取公園から海岸に向けて小川になっていたため、それを利用して特攻艇を出撃させたと思われます。
現在は開発やごみの投棄、私有地となったことによって見ることができる壕が少なくなっています。
✅荷川取公園へ続く小道
大通りから1分もしないうちに碑が見えてきます。
元陸軍海上挺進基地第四大隊基地壕及び第四戦隊特攻艇秘匿壕の大略
この地図に朱色で示す数多くの壕は、陸軍海上挺身隊(通称・水上特攻艇)の宮古島配備に伴い、第四戦隊(金子少佐率いる隊員63名、舟艇47隻)が昭和20年1月に上陸し、下崎地区、荷川取地区の海岸に西江大尉率いる海上挺進基地第四大隊と伴に、基地壕や特攻艇秘匿壕を構築し駐屯していた。
この第四戦隊は、長さ約6m、幅約2mの木製一人乗りモーターボートに240kgの爆雷を装着し、敵艦隊に体当たり攻撃を任務とした17~18歳の少年を隊員として構成された部隊であった。基地第四大隊は、第四戦隊の秘匿壕構築や後方支援を任務としていたようである。
昭和20年8月まで島の守備に従事していたが、出撃することなく終戦を迎えた。しかし、復員するまでの間には、空襲やマラリア、栄養失調などにより約63名(正確な数字は不明)の尊い命が失われたという。
平良市には、この地区のほかに久松のトゥリバー地区、大浜地区一帯に陸軍海上挺進基地第三〇大隊が構築した秘匿壕や狩俣の西海岸八光湾近くに海軍第三一三設営隊が構築し、震洋型特攻艇八木部隊が駐屯していた秘匿壕が存在する。久松の2地区の秘匿壕については、戦況により特攻艇が配備されないまま放棄された。
戦後、一部の秘匿壕が諸事情により失われたが、多くの秘匿壕が54年経った今も残されている。
平成12年3月設置
平良市教育委員会
✅元陸軍海上挺進第四戦隊駐屯地跡
✅草が茂った裏に…
✅壕があります
✅壕内から外
広さは2~3畳程の広さしかありません。
かつてはもっと広かったのかもしれません。
高さは普通に立っても問題ないくらいの高さがあります。
✅別の壕
注意深く草むらを見ると別の壕がありました。
しかし、蜘蛛の巣が多すぎるので入るのやめときました。
巣をぶっ壊すのも可哀そうですからね。
最初の壕よりは奥行がありそうな壕でした。
この付近には広さ・形状はまちまちの16ヵ所の秘匿壕があったそうです。