今日は読谷村の古堅国民学校跡だべ
ポチ太郎
ハチ公
読谷村の住宅街の中にあります!!
読谷村の住宅地の中に「古堅国民学校跡」があります。
沖縄戦により校舎などは破壊されてしまい、現在は門柱と校門にあったデイゴの木が残っています。
1941年、国民学校令が出されてそれまでの尋常小学校が「国民学校」へ変わりました。
国民学校では、心身を鍛え、天皇や国のために身を捧げるという国民としての素養を養うことが求められました。
学校内でも軍国主義の生活で、学校行事や団体訓練といったものは重要視されました。
勉強だけでなく土木作業や農作業を手伝う勤労奉仕の時間も設けていました。
青年学校は尋常小学校を卒業後、中学校や女学校といった中等教育学校に進まず、勤労に従事した人が通った学校です。