今日は千葉県千葉市中央区の椿森に残る「千葉陸軍病院の門柱だべ」
ポチ太郎
ハチ公
千葉陸軍病院跡は現在も医療センターとして使われています!!
かつての椿森は鉄道第一聯隊が駐屯しており、その隣に千葉陸軍病院がありました。
現在でも医療センターとして跡地は使われており、センター入り口には陸軍病院の門柱が残されています。
千葉市に残る戦跡
千葉陸軍病院跡
明治41年(1908年)6月の交通兵旅団と鉄道聯隊第2大隊の椿森移転以来、本市には、陸軍歩兵学校、気球連隊など多くの陸軍施設が中央区(椿森・弁天)や稲毛区(作草部・天台・穴川・園生)の台地に集積し、その総面積は約462ヘクタール(約140万坪)に及びました。
ここ椿森の地には、傷病兵の治療にあたるため、同年に千葉衛戍病院(昭和11年、千葉陸軍病院に改称)が設立され、隣接する鉄道聯隊(大正7年、鉄道第1聯隊に改組)のほか、気球連隊、戦車学校などの将兵に対する医療の中心的な役割を果たしていました。
昭和20年(1945年)7月の千葉空襲により鉄道第1聯隊をはじめとする多くの陸軍施設が焼失しましたが、千葉陸軍病院は被災を免れ、空襲で負傷した将兵や市民を受け入れました。
終戦後、同年12月に千葉陸軍病院は厚生省(現厚生労働省)の管轄となり、国立千葉病院として発足、その後、更なる名称変更、建て替えを経て、現在の独立行政法人国立病院機構千葉医療センターとなりました。この正面入り口には当時の門柱が現存しており、この地がかつて陸軍病院であった面影を残しています。