名称 | 延命寺 | |||
住所 | 〒180-0011 東京都武蔵野市八幡町1丁目1−2 |
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解説 | 9回にわたって空襲を受けた武蔵工場から200mの場所にある寺院。檀家が保管していた250kg爆弾の破片が展示されている。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
戦中の日本の航空機のトップメーカー「中島飛行機」の武蔵製作所の関連遺構をまとめていくんだべ
ポチ太郎
ハチ公
まずは、航空写真からどうぞ~!
✅1944年「中島飛行機武蔵工場」航空写真
✅中島飛行機武蔵工場 配置図
1944~45年頃 | 現在 | |
① | 付属病院 | 住宅地 |
② | 西工場(旧多摩製作所) | 武蔵野中央公園・NTT |
③ | 東工場(旧武蔵野製作所) | パークタウン・NTT・こうちゃん公園 |
④ | 中島飛行機運動場 | 武蔵野陸上競技場 |
⑤ | 第一青年学校 | 武蔵野市立第四中学校 |
⑥ | 延命寺 | 延命寺 |
⑦ | 関前高射砲陣地 | グリーンパーク緑地 |
⑧ | 中島飛行機武蔵製作所正門 | 武蔵野市立高齢者総合センター |
⑨ | 引込線「橋台」 | ぎんなん橋 |
⑩ | 武蔵野野球場線 | 堀合遊歩道 |
⑪ | 武蔵製作所引込線 | グリーンパーク遊歩道 |
今日は東京都武蔵野市の延命寺に残る「250㎏爆弾の残骸」だべ
ポチ太郎
ハチ公
日本有数の航空機メーカー故に空襲の標的にされました!!
第二次世界大戦期、現在の武蔵野中央公園付近には三菱と肩を並べた航空機メーカー「中島飛行機株式会社」の工場’’武蔵工場’’がありました。
零戦のエンジンの生産などを行っていた武蔵工場は当然ながら爆撃の目標になり9回の空爆があり、工場から200mほどの延命寺の境内にも被害がありました。
武蔵野の戦争の記憶を訪ねて
延命寺平和観音菩薩像と250kg爆弾の破片
都立武蔵野中央公園から武蔵野市役所周辺は、戦時中、中島飛行機株式会社武蔵製作所という日本有数の軍需工場があり、一式戦闘機「隼」や「零戦」などの軍用機のエンジンを生産していた。
延命寺は、この工場の南、およそ200mに位置し、寺の所有地も買収されている。戦争末期の空襲では境内にも爆弾が落下し被害を受け、周辺の関前地域では、寺の檀家を含む多くの犠牲者があった。
寺は、1977年に檀家らの浄財で平和観音菩薩像を建立した。
台座には戦死した檀家と、戦災で亡くなった方々の名前を刻んでいる。また、武蔵野女子学院(現武蔵野大学)付近に落下した250kg爆弾の破片を展示しているほか、「日の丸」の旗やのぼり旗、鉄かぶと、防空ずきんなどの資料を集め、所蔵している。
中島飛行機武蔵製作所や陸軍関前高射砲陣地などの周辺における空襲被災者やその関係者が慰霊に訪れたり、空襲・戦災の実相を学ぼうとする市民らが、この寺を頼りとして訪ねてくることが多い。武蔵野市
武蔵野市非核都市宣言平和事業実行委員会