名称 | 前川民間防空壕群 | |||
住所 | 〒901-1400 沖縄県南城市玉城前川 (Googlemap:26.145874, 127.743601)付近 |
|||
解説 | 周辺住民自らの手により作られた防空壕。崖に沿っていくつも見ることができる。沖縄ワールドのすぐ近くでローソンを過ぎた辺りにも看板がある。 | 難度 | ||
B (足場が悪いので靴推奨) |
おきなわワールド前を県道17号が通っていますが、そこを北上するとすぐに’’ローソンおきなわワールド前店’’があります。
その横の小道を入ると200mほど入ると「前川樋川(前川民間防空壕)」があります。
車を駐車できそうなスペースもあるので、軽自動車やコンパクトカーならアクセスしやすい戦跡です。
前川樋川(まえかわヒージャー)と前川民間防空壕
琉球王府の史書である「球陽」(1745年)によると、前川区は、1736年に糸数城跡南側の麓から現在地に移動している。この前川樋川も当時の絵図(琉球国惣絵図・1750年頃)に記載されていることから、当時から住民の生活用水として利用していたと思われる。
急勾配の石階段は水運びが不便であったため、1932年に南側へ緩やかな道路を造り、水運びが楽になった。当初、樋川は簡易な水溜め程度の施設だったが、1936年に現在の粟石貯水タンクと女性用の水浴場を建造して、日本本土復帰前(昭和40年代)まで貴重な水源として使われてきた。
同樋川を中心とした崖の中腹には、岩盤を掘り込んで築造された民間防空壕が40カ所、並んで存在している。
この民間防空壕は1944年10月10日の南西諸島大空襲(那覇市は9割の家屋が焼失した)後、米軍の沖縄上陸が濃厚となったため、字民が2・3世帯ずつ一組になり避難壕として建設したものである。壕入り口の多くはしゃがんで通れるくらいの高さで、広さは約4㎡。隣り合う壕が内部で連結するという構造になっている。字前川近くに米軍が進行してきた際には、多くの住民がこの壕や南部具志頭方面に避難した。なお、この壕では4カ所で集団死が起こっており、20人余りが死亡している。
旧玉城村内には自然の洞穴を利用した防空壕は多いが、このようにまとまって掘られた民間防空壕はここだけである。
入り口には南城市が設置した案内看板があり、その横に階段があります。
この防空壕群は背後を流れる雄樋川の岸壁に沿って造られ、階段と坂を下ると壕群が見えてきます。
手摺がありますが途中から手摺もなくなり、滑りやすい坂になるので履きなれたスニーカー推奨です。
途中で道が分かれます。
片方が防空壕群が並ぶ道で、獣道なので歩きづらい道です。
一方の前川樋川へ続く道は歩きやすい道です。
✅前川樋川へ続く道
✅前川民間防空壕
実はスタート地点での階段と案内板左横にある道を200~300m進んでいくともう一つの階段があります。
✅もう一つの階段
階段を降りていくと、大きい拝所と防空壕群があります。
しかし、草が生え放題で足元も悪いです。