梅津寺駅は愛媛県を走る伊予鉄道の高浜線の駅のひとつです。
駅の周りは梅津寺海岸と住宅、Jリーグに所属する愛媛FCの練習場’’愛フィールド梅津寺’’、梅津寺公園などがありますが、基本的に開発などされていない長閑な場所です。
✅梅津寺駅
梅津寺駅に降りてみると瀬戸内海の景色が広がります。
✅梅津寺海岸
次に海とは反対の方を見てみましょう。
梅津寺公園という公園があります。
以前は伊予鉄道が運営していた遊園地があったそうですが、現在は公園として整備されています。
公園の一角には伊予鉄道でかつて使われていた伊予鉄道1号機関車が展示されています。
✅伊予鉄道1号機関車(坊ちゃん列車)
✅「東京ラブストーリー」ロケ地
梅津寺駅から高浜公民館方面へ進んでいくと、秋山好古・秋山真之の銅像が建っています。
✅秋山好古の銅像
松山藩士秋山久敬の三男として松山市中歩行町に生まれる。
海軍軍人の秋山真之の実兄。
明治10年陸軍士官学校、16年陸軍大学を経て騎兵科を志す。
20年フランスへ留学。
日清戦争では、騎兵第一大隊長、後に騎兵学校長となり、明治陸軍の騎兵科を「戦略機動集団の騎兵」として強化発展させ、騎兵の父と仰がれた。
日露戦争では、騎兵第一旅団長となり、世界最強のコサック騎兵と奉天会戦で戦い、敵の退路をおさえる陸戦最後のダメ押しに大功があった。第一及び近衛師団長を経て、大正5年大将となった。
朝鮮軍司令官、教育総監、軍事参謀官と陸軍の要職をつめた。その後乞われて北予中学(現松山北高)の校長となり、後進の育英に尽力した
✅秋山真之の銅像
松山藩士秋山久敬の五男として松山市中歩行町に生まれる。
好古は実兄。
15歳で上京し、親友の正岡子規と下宿した。その後、明治19年海軍兵学校に入学し、
同校を首席卒業。 日清戦争を経て米国に留学、マハン戦術(近代米国海軍戦術)を究めた。
日露戦争で連合艦隊長官東郷平八郎の作戦主任参謀として活躍。日本海海戦ではバルチック艦隊を迎え、伊予水軍デンライともいわれる「乙字戦法」を駆使し、意表を衝く敵前旋回で敵艦隊を撃滅し、
戦局の大勢を決した。なお、この時掲げたZ旗の「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮闘努力セヨ」の文は、真之の作である。
大正6年中将に進んだが、翌年病死、
この像は、石手寺境内にあったものを昭和43年9月に移転した。
✅智謀如湧
✅碑にはこれらの文も刻まれている
’’接敵艦見之警報聯合艦隊欲直出動撃滅之 本日天気晴朗波高’’
バルチック艦隊と対峙した際に大本営に打電した電文。後半の「本日天気~」の部分を秋山真之が瞬時に付け加えたといわれ、端的に状況を伝えた一文とされます。
’’皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ’’
バルチック艦隊と戦う前に船の水兵たちに言った言葉です。
’’国の未来がこの戦いで決まるから全力で頑張れ’’的な意味です。
’’梅が香やおまへとあしの子規真之’’
子規が呼んだ俳句。俳句の意味などはよくわからないですが、’’梅が香’’は「梅の香り」、’’おまへとあし’’は「お前と私」の伊予方言とのことです。とりあえず、子規と真之は幼馴染で上京してからも一緒に遊んだりしてた親友でした。