名称 | 「大力者 安里五良」の像 | |||
住所 | 〒905-0504 沖縄県国頭郡伊江村西江前 |
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解説 | 伊江島のミースィ公園の入口にある像。 伊江村民の負けん気やチャレンジ精神、不屈の魂を表すとされる「イーハッチャー」という言葉は安里五良から生まれたとされている。 |
難度 | ||
A |
✅大力者 安里五良
伊江島のミースィ公園の入口に「大力者 安里五良」の像があります。
この上納船の船頭で強い事で名を轟かせていた「安里五良(アサトグラ)」から’’イーハッチャー’’という言葉が生まれたとされています。
’’イーハッチャー’’は、伊江村民の負けん気やチャレンジ精神、進取の精神を表す言葉です。
大力者 安里五良
ウプテームン アサトグライーハッチャーの語源となった力士伝である。
旧藩末、伊江島の西江村に生まれ、持ち前の大食い・剛力から「大力者(ウプテームン)」安里五良(アサトグラ)」と呼ばれた。
五良は上納舟の船頭で角力においてはその大力者を負かす者がいないので勇名をとどろかせていた。
あるとき那覇の角力狂が後援者となり、伊江島の船乗りと那覇のニオに角力をとらせることになった。
那覇のニオは空手をやり、武術のたしなみがあったので、はじめのほどは伊江の劣勢がつづいた。
最期に出た五良は残りの5人を瞬く間に負かし伊江島に勝利をもたらした。
後援者ら見物人は総立ちになって「伊江勝ちゃん」と凱歌をあげ、島の人々は「伊江ハッチャン」と叫んだ。
島人がハッチャンというのを土臭く面白いので誰言うとなく伊江ハッチャーに変化したということである。
その進化を国頭で発揮したのが、明治20年国頭高等小学校建設用地の地均しを各間切島に割当てられた時である。
島では男子ばかりの若者を選りすぐって、朝早くから晩も遅くまで作業し他間切の半分の日数で仕上げてしまった。
他間切の夫役が嘲弄するかのように「伊江ハッチャー」と言ったのが一般化し、猪突猛進型で男性的な響きで今日に伝わっている。
五良がプーズィナ(帆縄)を握り一帆船を操り、片手には三升(ニワーシドゥクイ)の縄を持って、荒波に向う雄姿には「進取の気性」「負けん気性」など、伊江島の一号精神が象徴され、村の限りない躍進が表現されている。
伊江島の生んだ「大力者安里五良」は明治23年に亡くなったとされ、生年や歳は不明である。平成23年3月 伊江村教育委員会