笠之原飛行場跡地
名称 | 笠之原飛行場跡地 | |||
住所 | 〒893-0023 鹿児島県鹿屋市笠之原町 |
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解説 | 大正11年8月から昭和20年8月15日まで24年間にわたって、旧陸海空軍の飛行場基地として使用された。 昭和20年3月18日の集中爆撃により、基地施設が崩壊したが地下道へのコンクリート入り口が残っている。 地下道は東西の滑走路に繋がるだけでなく、地下通路指令室にもなっていた。 |
難度 | ||
A |
鹿児島県鹿屋市の市街地の中に「笠之原町」という地域があります。
市街地近くにありながらも田畑の広がる景色の中に、異質な雰囲気を出した遺構が畑の中にあります。
このコンクリート遺構はかつて存在した「笠之原飛行場」に関連した遺構です。
現在は見ただけでは全く分かりませんが、かつてこの場所に飛行場があり、特別攻撃隊が南洋の海に消えていったのでした。
旧笠之原海軍航空基地跡地
沿革現在地は旧笠之原飛行場として、大正十一年八月から昭和二十年八月十五日まで二十四年間に亙り、旧陸海空軍の飛行場基地として使用されていた。太平洋戦争末期の昭和十九年一月十五日には海軍航空基地が設置され、田中隊一個中隊が常駐することとなった。又、昭和二十年一月には第二百三航空隊零式戦闘機七十二機が配備され、特別攻撃隊として南海の戦場に散っていった。その後昭和二十年三月十八日の連合軍の集中爆撃のため、格納庫を始めとする基地施設は全滅し、当時を物語る唯一の遺物として、このコンクリート入り口が、東西に走っていた滑走路へ通ずる地下道入口並びに地下通路指令室として現存しているものである。当地は民有地を買収して飛行場がつくられた関係上、終戦により地元地区民に農地として無償で払い下げられ、現在に至っている。
鹿屋市観光協会
✅畑の中にあるコンクリート遺構
✅笠之原飛行場 地下道入口
畑の中にあるコンクリート遺構は、かつては滑走路に通じる地下道に繋がっていました。
地下道内には通信指令室もあり、笠之原飛行場の中枢でもあります。
現在、入口は塞がれています。
✅遺構に残る損傷
昭和20年3月18日の集中爆撃をはじめとして、飛行場は集中的に攻撃されました。
それはこの飛行場だけではなく、各地の飛行場は攻撃のターゲットにされます。
飛行場だけでなく航空機をつくる工場なども攻撃目標にされ、いかに日本の航空兵力が危険視されていたかが分かります。
遺構には空襲等で出来たであろう損傷が確認できます。
この遺構の近くには飛行機を格納した「掩体壕」も残っています。
この「川東掩体壕」には第203航空隊の零戦が収容されていたようです。