名称 | 南さつま市万世特攻平和祈念館 | |||
住所 | 〒897-1123 鹿児島県南さつま市加世田高橋1955−3 |
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解説 | 昭和19(1944)年終わりに鹿児島県の吹上浜に建設された陸軍最後の飛行場。4か月しか使用されず「幻の飛行場」とも表されることも。引き上げられた零式三座水上偵察機や機銃の展示の他、知覧特攻平和会館のように特攻隊員の遺品が展示されている。 | 難度 | ||
A (行きやすい) |
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旅行好きな人で歴史が特に好きでない人でも、「知覧特攻平和会館」を知っていて行ったこともあるという人は多いと思います。
じゃらんにも載っていて、付近には武家屋敷跡も残り、鹿児島市街からもアクセスしやすいことから知名度も高い「知覧特攻平和会館」こと「知覧基地跡」。
そんな知覧基地跡から西に位置する南さつま市にも特攻基地が存在していました。
終戦直前に建設され、その使用も4か月のみであった「万世飛行場」は「幻の飛行場」とも呼ばれています。
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✅万世特攻平和祈念館
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ここは、わが国三大砂丘の一つに数えられる吹上浜の南端に位置し、太平洋戦争の戦局が急を告げつつあった昭和18年の夏から19年の末にかけて本土防衛、沖縄決戦の軍航空基地として建設された「万世陸軍飛行場」
の一画にあたる大戦の思い出の地であります。
昭和20年3月から燃料を集積、3月末から飛行第66戦隊が配置され、さらに同年4月初第6航空軍の作戦計画によって特別攻撃隊およびその掩護と防空の飛行第55戦隊も配置され特攻基地となり、沖縄作戦の最も熾烈を極めた7月下旬までに、ここ万世基地から飛行第66戦隊および特攻振武隊の諸隊、これを掩護する飛行第55戦隊の若き勇士が祖国護持の礎たらんと勇躍沖縄方面へ出撃し、南海の大空に散華したのであります。
終戦後幾星霜、今では当時の面影として、営門と水槽を残すのみとなりましたが、ここに立って松風や潮騒を耳にしながら「祖国のために」を合言葉に征きて帰らざる壮途についた紅顔の英姿をしのびつつ平和へ誓いを新たにしたいものです。
建物前にはいくつもの慰霊碑が建立しています。
祈念館内は引き上げられた航空機などを展示した一階部分と、特攻隊員の遺書や血書・手紙を展示した2階部分からなっています。
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✅よろずよに
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昭和19年(1944年)、太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。
ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
昭和20年(1945年)3月28日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武体の諸隊、飛行第66戦隊、飛行第55戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った。
1機また1機と。
征きて帰らざる者あまた。
或いは空中に散華。
或いは自爆。
壮絶にして悲絶。
その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。昭和47年(1972年)5月29日
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若鷹は
湧き立つ
雲差し翔け
入りぬ
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このプロペラは自衛隊で昭和37年から現在でも使用されている初等訓練用単発練習機のものです。
選挙区の悪化となった昭和19年頃完成した当万世飛行場に配備されていた陸軍三式戦闘機(飛燕)のプロペラとほぼ同型のものといわれております。昭和54年7月
✅萬世陸軍航空基地戦没者殉職者慰霊之碑
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✅零式三座水上偵察機
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吹上浜沖から引き揚げられた機体が展示されています。
日本航空協会の「重要航空遺産」に6番目に認定された貴重なものです。
すぐれた航続力と搭載力をもつ本機は、太平洋戦争中の全期を通じて、海軍作戦地域の殆ど全域にわたって活躍し、 偵察のほか、哨戒、攻撃、連絡輸送から救難にまで幅広く使われました。
ここに展示している飛行機は、当時極秘であった八木アンテナ(電探)を付けた日本に唯一現在した珍しい機体で 「水偵302」の表示があることから、福岡を離水、沖縄方面の探敵から帰途中燃料切れで不時着したものである。
この飛行機は海軍のフロート付水上偵察機であって、ここ万世飛行場から出撃した特攻機ではありません。
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✅プロペラ・プロペラスピナーと垣間見えるシリンダー
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✅左主翼とフラップ
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✅左主翼とフラップ
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✅右主翼とフラップ
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✅尾翼
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✅零式三座水上偵察機に搭載されていた機銃(最下)
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✅旧日本陸軍98式直協偵察機のエンジンとプロペラ
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昭和59年(1984)1月、茨城県鹿島灘沖2,000m、水深25mの海底から、操業中の漁船の網にかかり引き揚げられたもので、旧陸軍の特攻機として使用された機種の1つであったことから、旧隊員の苗村七郎、佐藤平蔵、遠藤武、阿尾新次郎の4氏が橋渡し役となり、拾得者の篠塚誠治(誠栄丸船長)氏から加世田市が無償で譲り受けたものである。
✅シリンダー
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✅破損したスピナー
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✅旧日本陸軍98式直協偵察機の機関砲
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✅引き上げられた速度計
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✅竹製落下燃料補助タンク
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太平洋戦争の末期に陸軍の戦闘機に装備されていた補助燃料用の落下タンクです。飛行機の飛行距離を伸ばすため使い捨ての補助燃料タンクが使われていた。竹製だけではなく木製の落下タンクも使われた。
戦闘機にはこのタンクと爆弾をそれぞれ方翼に1基ずつ装着し、落下タンクは戦闘開始前に切り離し、落下してから体当たり攻撃した。
✅子犬を抱いた少年兵
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特攻隊員を写した写真の中に「子犬を抱いた少年兵」という写真があります。
この写真に写っている特攻隊員達はこの2時間後に出撃する予定でしたが、沖縄地方の悪天候により1日延期になります。
第72振武隊である彼らは自らを「朗らか部隊」と自称し、最期まで明るくはつらつとしていました。
そんな彼らが出撃した場所が万世飛行場でした。
万世飛行場自体が短期間しか使用されていなかったこともあり、万世飛行場から出撃したにも関わらず、知覧飛行場から出撃したと勘違いされている隊員の遺族もいるようです。
第72振武隊 | ||
後列左 | 高橋要(18歳) | 伍長 |
後列右 | 高橋峯好(17歳) | 伍長 |
前列左 | 早川勉(18歳) | 伍長 |
前列中央 | 荒木幸雄(17歳) | 伍長 |
前列右 | 千田孝正(18歳) | 伍長 |
✅万世飛行場を出撃した特別攻撃隊が使用した軍用機
機種名 | 速度 | 脚 | 爆弾 | 機数 |
99式襲撃機 |
424㎞ | 固定 | 250㎏ | 91 |
2式高等練習機 | 420㎞ | 固定 | 250㎏ | 21 |
1式戦闘機(隼) | 500㎞ | 引込 | 250㎏ | 5 |
97式戦闘機 | 450㎞ | 固定 | 250㎏ | 4 |
計121 |
✅万世飛行場から出撃した特別攻撃隊(振武隊)
第62振武隊 | 10人 | 第75振武隊 | 10 |
第63振武隊 | 6 | 第102振武隊 | 12 |
第64振武隊 | 9 | 第104振武隊 | 10 |
第66振武隊 | 4 | 第141振武隊 | 2 |
第72振武隊 | 10 | 第144振武隊 | 3 |
第73振武隊 | 12 | 第432振武隊 | 10 |
第74振武隊 | 12 | 第433振武隊 | 11 |
14隊 121人 |
✅特攻隊員の年齢
年齢 | 17歳 | 18歳 | 19歳 | 20歳 | 21歳 | 22歳 | 23歳 | 24歳 |
人数 | 2 | 6 | 28 | 18 | 16 | 16 | 13 | 7 |
年齢 | 25歳 | 26歳 | 27歳 | 28歳 | 29歳 | 30歳 | 31歳 | 不明 |
人数 | 6 | 4 | 1 | 2 | 2 | |||
計121人 |
表は万世特攻平和祈念館でいただいた案内を参考にさせていただきました。