名称 | 喜屋武の望楼跡 | |||
住所 | 〒901-0354 沖縄県糸満市喜屋武 |
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解説 | 高さ約30mの断崖が切り立つ喜屋武岬にあった旧海軍の監視所跡。 現在は土地整備され、痕跡がほぼ無い。 「喜屋武岬」は喜屋武海岸及び荒崎海岸として「国指定名勝・天然記念物」、「沖縄戦跡国定公園」等に指定されている。 昭和44年には慰霊碑「平和の塔」が建立されている。 |
難度 | ||
A |
喜屋武岬は本島南部の糸満市喜屋武にある景勝地です。
沖縄戦の時、追い詰められた住民・兵士らが30mの断崖から飛び降りた歴史があることからか、現代では心霊スポット扱いされています。
日露戦争の時代から、喜屋武岬には船舶監視の目的で海軍の望楼が設けられていました。
✅喜屋武の望楼
現在の喜屋武岬は駐車場などはコンクリートで整備されてしまいましたが、整備される以前の状態では望楼のコンクリート遺構が露出していた。
また、岬近辺の樹木に埋もれて関連遺構が残っているとのこと。
糸満市喜屋武の海軍望楼
1904年、日露戦争開戦を機に東シナ海を航行する船舶の監視を目的に設置された。望楼の建物以外に物置や貯水池なども設置された。
日露戦争終結とともに翌年廃止されたが、1914年、第一次世界大戦にドイツが参戦したことにより、再設置される。
多選終結とともに15年に廃止されたが、太平洋戦争開戦に伴い42年に海軍特設見張所が、海軍望楼の諸施設の東隣に建てられた。
南方に進出していた日本軍の航路を確保することが目的で、洋上監視施設として設置された。
この施設も44年に艦砲射撃を受けて徹底的に破壊された。琉球新報より引用
✅平和の塔
第62師団管下部隊は喜屋武複廓陣地において摩文仁の第32軍司令部向け侵攻を続ける米軍に対し最期の攻撃を続けしが善戦空しく昭和20年6月20日玉砕せり
昭和27年10月地元民は将兵並びに戦斗に協力散華せる住民の遺骨併せて1万柱を集約し平和の塔と名つけしかこのたび南方同胞援護会の助成を得て新たに塔を建てその遺烈を優う昭和44年3月
財団法人 沖縄遺族連合会
✅塔裏の二体のお地蔵
✅塔の横に填められたプレート
でも東尋坊とは違って、公衆電話は無いんだべ
✅岬からの展望
✅喜屋武崎灯台
喜屋武崎灯台の近くには「荒崎灯台」という灯台がアメリカ統治時代に建てられていましたが、光が弱いという苦情が多くありました。
日本復帰後、新しく建設されたのが「喜屋武崎灯台」です。
キセノンランプを使用したことによって、荒崎灯台の約1500倍の明るさになっている。
灯台の高さは約15m
喜屋武岬の東には荒崎岬と荒崎海岸があります。
荒崎海岸も喜屋武岬と同じく、多くの日本人が追い詰められた場所でした。
ひめゆり学徒隊も「伊原第三外科壕(現:ひめゆりの塔)」から放浪し、荒崎海岸にたどり着いて自決しています。
荒崎海岸には「ひめゆり学徒隊散華之碑」があります。
✅具志川城址遠景
名称 | 具志川城のトーチカ | |||
住所 | 〒901-0354 沖縄県糸満市喜屋武1730−1 |
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解説 | 具志川城址下の岩壁にあったトーチカ。 現在は埋められている。 |
難度 | ||
✖ |
沖縄県糸満市喜屋武に具志川城址という城跡があります。
海岸の断崖上にある具志川城ですが、崖下におりていくと「具志川城のトーチカ跡」があります。
戦中には岩壁の横穴を利用した鉄筋コンクリート造りのトーチカがありましたが、現在は埋められてしまいました。