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広島市中区にあった「廣島第二陸軍病院跡」

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廣島第二陸軍病院跡

名称 広島第二陸軍病院跡
住所 〒730-0011
広島県広島市中区基町17−9
解説 旧太田川近くにあった陸軍病院跡。
原子爆弾の投下により崩壊したが、生き残った病院関係者は川のほとりに掘っ立て小屋を建て、負傷者の処置を行った。
難度
A

今回は広島県広島市中区にあった「広島第二陸軍病院跡」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

今は「廣島陸軍病院原爆慰霊碑」が建立されています!

昭和の頃、広島市には陸軍関連の施設が数多く建てられていました。
その中でも旧太田川沿いに建てられていたのが「広島第二陸軍病院」でした。
現在、跡地には「廣島陸軍病院原爆慰霊碑」が建立されています。

当時、広島城を中心とする基町一帯は、軍の施設が集まる一大軍事拠点で、第1陸軍病院と第2陸軍病院も配置されていた。
現在地は第2陸軍病院の跡地である。両院の被爆直前の収容患者数は約千人で、爆心地から近いこともあって多くの犠牲者を出した。
合祀名碑に「広島陸軍病院原爆死没者合祀者」として陸軍病院職員738人の名前が刻まれている。
このほか、収容患者約千人が犠牲となった。元の病院の被爆した庭石を積み重ねた上に、病院の門柱を碑石としている。

碑より引用

広島第二陸軍病院は、軍施設が立ち並ぶ基町地区の北西端に建っていました。
被爆当日、病院内には、職員330人、入院患者750人がいたとされていますが、一発の原子爆弾により倒壊炎上し、多くの死傷者を出しました。
美しい桜並木が入院患者をなごませた太田川の堤防には、わずかに残った職員が、ムシロやトタンを使って天幕を張り、臨時救護所を設置し、多くの負傷者の治療にあたりました。

案内看板より引用
広島陸軍病院原爆慰霊碑
病院の庭石と表門石柱を組み合わせた慰霊塔

昭和20年(1945)8月6日広島が人類最初の原子爆弾により、一瞬にして20数万の尊い犠牲者を生じるに至った。
爆心地に極めて近かった元広島陸軍病院に勤務の職員以下及び入院中の患者等で被爆死された方々の御霊を永遠にお祀りするため、同病院関係の生存者で職員・その他有志並びに遺族賛助者等により、広島陸軍病院原爆慰霊会を結成し昭和30年8月6日原爆10周年を記念しこの病院跡に当時の表門石柱を碑とし台石は全部病院の庭石等を用い、ここに「広島陸軍病院原爆慰霊碑」を建立した。
ついで同50年8月6日30周年記念行事として合祀名碑の建立並びに同病院の遺跡保存と併せて敷地の整備をも計画し昭和52年8月6日完成するに至った。
御霊よ
どうぞ
安らかに
お眠りください。
合掌

碑より引用
この川沿いに即席の病院施設が建てられました。

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ポチ太郎

ポチ太郎

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