子規堂とは愛媛県松山市にある正宗寺境内にある、正岡子規が17歳まで暮らした家を復元した記念堂です。正岡子規の直筆原稿や遺墨・遺品を展示してある他、勉強部屋や愛用の机なども展示しています。
伊予鉄の松山市駅からアクセスしやすいです。松山市駅はJRは乗り入れてないので注意!!
✅正岡子規とは
名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改名します。俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面の創作活動を行い、日本の近代文学に影響を及ぼした明治時代の文学者です。
地元の松山では、ロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊の参謀’’秋山真之’’や「日本騎兵の父」と呼ばれた秋山真之の兄’’秋山好古’’と親交があり、秋山真之とは大学予備門(現東京大学)まで勉強を共にしました。その後、秋山は軍人の道へ進んでしまいます。しかし、大学予備門では’’夏目漱石’’という新たな出会いもありました。NHKドラマの「坂の上の雲」でもこれらの人物との掛け合いも描かれています。
東京大学予備門時代にベースボールを知り、野球に熱中したという一面もあります。松山にはじめて野球を紹介した他、ベースボールを日本人に浸透しやすいようバッター・ピッチャー・フォアボールなどの用語を、打者・投手・四球などと訳し野球の普及に努めました。現代でもこれらの用語は一般的に使われており、2002年にはその功績から正岡子規は野球殿堂入りを果たしています。
享年34歳での死を迎えるまでの約7年間は結核菌から引き起こされた「脊髄カリエス」と戦いながら俳句を詠み続けました。
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「旅立ちの像」は子規が25歳のころに箱根の関所近くで撮った写真から造られました。阿部誠一氏作。
✅旅立ちの像
✅ぼっちゃん列車
夏目漱石の松山中学での教師体験をもとに描かれた小説『坊っちやん』の中で、「マッチ箱のような汽車」として登場しています。主人公の坊っちゃんが乗った事から坊っちゃん列車と呼ばれるようになりました。