名称 | 公益質屋跡 | |||
住所 | 〒905-0501 沖縄県国頭郡伊江村字東江上 |
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解説 | 伊江島タッチューの麓にあるコンクリート建造物。 沖縄戦において多くの砲弾を受けながらも原型を留めている。 公益質屋は村営の金融機関で、世界恐慌で困窮する住民達を救う施設でした。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
今日は沖縄県の伊江島にある「公益質屋跡」だべ
ポチ太郎
ハチ公
戦跡好きな人なら割と知ってる場所ですね!
伊江島港から伊江島タッチューの方へ向かうと、伊江村教育委員会の隣にボロボロになったコンクリート造りの建物があります。
これが「公益質屋跡」という、かつて村営で運営されていた質屋です。
伊江島はシンボルであるタッチューを除くと、ほとんど平坦な地形になっています。
その地形を生かして、帝国陸軍航空本部によって「伊江島飛行場」が建設されました。
守備隊も配備され、航空の要衝となったために米軍からターゲットにされ、1945年4月16~21日の5日間にかけて米軍の上陸作戦が行われました。
上陸に際しては、事前に艦砲弾やロケット弾を使用した攻撃や、航空機によるナパーム弾攻撃が行われたので伊江島全体は廃墟と化しました。
✅公益質屋跡
村指定史跡
公益質屋跡
公益質屋とは市町村や社会福祉法人が設立した公益を目的に経営していた質屋のことで、伊江村では1929(昭和4)年に政府の融資を受けて設立されました。
建物の設計は国頭郡役所建築技手であった清村勉氏によるものです。
設立当時は世界大恐慌のため村の財政や村民の生活が苦しい時期であり、高利貸の暴利に泣く村民に低利の融資を行い、生活の安定をはかったものでした。
第二次世界大戦の際、伊江島でも激しい戦闘があり、住民約1500人、日本将兵約2000人の人々が犠牲になりました。また、米軍の攻撃によって村の建物はことごとく破壊されましたが、砲撃を受けながらも原型を留めているのはこの建物のみです。建物の天井や壁には今でも無数の弾痕や砲撃の痕が残されています。
公益質屋跡は、戦争の恐ろしさを後世に伝える存在として村の史跡に指定されました。昭和52年12月14日 指定
✅玄関口
鉄筋コンクリート造で、破壊された部分からは鉄筋が露出しています。