名称 | 松代大本営 | |||
住所 | 〒381-1232 長野県長野市松代町西条479−11 |
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解説 | 本土での地上戦になった場合に皇居と大本営を置く予定になっていた人口の洞窟。 総延長10㎞ほどにもなり、約9か月で掘りぬいた。 大きく分けると「イ地区」「ロ地区」「ハ地区」に分かれる。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
現在、皇居は東京都にあることは殆どの方が知っているかと思いますが、第二次世界大戦での本土決戦までもつれ込んだ場合、海が近い東京都に日本の政治・軍事のトップである皇居(天皇)があることは良くないと陸軍は考えていました。
そして海から遠い内陸の地、長野県長野市松代の地に移転地がつくられることになりました。
大戦末期には日本の国力は無くなっており、本土決戦において敵国に大ダメージを与えて少しでも良い条件で和平交渉することが目指されました。
そのためには国民の士気にも関わってくる「天皇」という存在を失う訳にいかなかったのです。
本当に本土決戦になっていたら沖縄のように爆雷や手榴弾をもって突撃なんてことも語られていたかもしれませんね。
「長野県といえば松本城!」とかが挙げられるかもしれませんが、知る人ぞ知る場所といえば「松代大本営」です。
長野ICからも10分くらいで行けるお手軽スポットです。
ちなみにICからすぐの場所には武田信玄と上杉謙信の因縁の場所「川中島古戦場」があり、現在は古戦場跡が公園として整備されています。
この松代大本営は、太平洋戦争も終盤、日本にも敗戦ムードが起こり始めたころに建設され始めました。
目的としては、天皇・大本営・政府等の国家指導層の安全を確保しながら、本土決戦時の指揮するためでした。
そのために、天皇や大本営をはじめとして決戦に向けて最低限必要な物が移動対象となっていました。
例えば、通信施設・食糧庫・燃料庫・飛行場などがありました。
✅イ地区
地下壕は象山・舞鶴山・皆神山の中腹に掘られました。
その全長は約10㎞にもなりますが、最重要機密であることから「松代倉庫工事(=マ工事)」と称されました。
また、これに関連して
象山地下壕(主に政府・日本放送協会・中央電話局が使用)は「イ地区(=イ号倉庫)」
舞鶴山地下壕(主に大本営・天皇が使用)は「ロ地区(=ロ号倉庫)」
皆神山地下壕(主に食糧庫)は「ハ地区(=ハ号倉庫)」と呼ばれました。
しかし、終戦を迎えたためにこの壕は使われずに終わりました。
松代象山地下壕
松代大本営地下壕は、舞鶴山を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように掘りぬかれ、その延長は約10㎞余りに及んでいます。ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最期の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全行程の約8割が完成しました。
この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的でなかったなど、さまざまな見解があります。
松代象山地下壕は、平和な世界を構成に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成っ岩年から一部を公開しています。(案内板より)