1トン爆弾でズレた石垣
名称 | 天守台石垣の爆撃被害跡 | |||
住所 | 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1−1 |
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解説 | 1944年8月14日に行われた大阪空襲の影響により受けた石垣の損傷。 大阪城天守台の北壁から東壁にかけてに見られる。 |
難度 | ||
A |
今日は大阪府大阪市中央区の大阪城内にある「天守台石垣の爆撃被害跡」だべ
ポチ太郎
ハチ公
大阪城天守閣の北側にあります!
戦争末期、日本各地に空襲が行われました。
この大阪の地も例外でなく、幾多の空襲が行われています。
特に大阪城付近には「大阪砲兵工廠」という重火器を製造する工場があり、空襲のターゲットとなりました。
大阪城天守閣の石垣には、現在でも空襲の爪痕が残されています。
戦争末期の空襲は各地の都市に加えて、航空機などの製造工場や武器製造工場が空襲の際には狙われました。
日本を代表する航空機メーカーであった東京都武蔵野市の「中島飛行機武蔵製作所」や、軍港であった長崎の佐世保や広島県の呉なども狙われています。
大阪に対する空襲では、8月14日の終戦の前日まで空襲が行われています。
数えきれないほどの焼夷弾と1トン爆弾によって、ターゲットであった大阪砲兵工廠はもちろん、周辺地域は焦土と化しました。
工廠の北側にあった京橋駅には、避難者が滞留していたホームに1トン爆弾が直撃しています。
現在、京橋駅には慰霊碑が建立されています。
✅大阪城
大阪砲兵工廠に隣接している大阪城にも多数の爆弾が投下されました。
天守閣の北側石垣を見てみると、不自然にズレている石垣を見ることが出来ます。
これは石垣からほど近くに直撃した1トン爆弾による影響とされています。
大阪城の構造により、このようなズレは問題ないように造られているようですが、1966年にはズレが進行しないように工事が行われています。